キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。

 題:キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 イエスが殺された理由は、まったくの私憤。
 レベルの低い話の中で、イエスは、捕えられ、殺される。
 イエス側に、原因者としての『責任がある』。
 イエスの殺される原因は、イエスが、自(みずか)ら作
っているという事。
 その原因が、イエスが、死に至らねばならないか、否か
は、これから考えるとしても、
 イエスを殺した側へは、イエスを殺した原因者だと言い
たてる事はできない。
 事は、ユダヤ教の内紛である。
 ユダヤ教徒のイエスが、イエスの考えと違うユダヤ教
攻撃した事にある。
 他に、大きな話があるという話ではない。
 私憤が高じて行き、現代ではあり得ない公権力をも持っ
ていた者が、その公権力を利用して、イエスを捕え、そし
て、死刑に至らしめたという話。
 宗教上の、それもユダヤ教に限った話において、ユダヤ
教徒としてのイエスが、イエスの考えから、攻撃したい事
があった。
 このイエスの攻撃は、ところかまわず、手に触れるもの
すべてに、イエスの気性である激怒しやすい攻撃の仕方で、
すべてを敵にした。
 イエスと対抗する派閥へのすべてを敵にした。
 ユダヤ教ファリサイ派と、ユダヤ教サドカイ派である。
 イエスの気になった所は、これ等の派が、「儀礼化して
いる事」や、「偽善的である」という事だった。
 今・現代のキリスト教も、『大変な偽善宗教』である。
 そして、イエスのこの問題は、何ら、深刻な問題ではな
かった。話し合えば、済む問題だった。
 言うイエス側にも、問題の一端があったのだろう、また、
エスの攻撃的話を聞く側にも、問題の一端があったのだ
ろう。
 すべてを、相手側が悪いという類いの問題ではない。
 死に至ったという経緯は、その話し合いは、何ら大人の
話し合いではなく、幼稚な経緯の中にあったのだと、少な
くとも言える。
 結局、何の事の重大性の無い切っ掛けが・・、
 事が終わった後には・・、
 事が大きかったとされて・・、
 その後の話が展開して行く。
 この事件は、キリスト教とはまったく関係の無い話。
 ただ、パウロと言う人が、旧約にある筋書きとまったく
同じ筋書きで、キリスト教を立宗するのに、一部を採用し
た。
 この様に、パウロは、イエスを利用しながら、イエス
人となりや、イエスの行動は、まったく無視した。
 ただ、イエスが刑死した事と、旧約にある復活を利用し
ただけだった。
 そこに、宗教に必須の『立宗理念はなく』・・、
 ただ、旧約のストーリーにあてはめた行為が・・、
 あった『だけ』だった。
 公権力を持った宗教組織の大司祭カイファトと、ローマ
の傀儡権力者の総督ピラトが関わった。
 この中に、立宗の意義の繋(つな)がる種(たね)は、
何もない。
 ただ、自分の地位保全や、特権維持の私利私欲がちらつ
くだけ。
 また、イエスにも状況判断の誤りが臭(にお)う。
 あえて、エルサレムへ行く時ではなかった・・と、はっ
きり言える。
 キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。
 その様な宗教。
 人類は救済できない。
 皆様が幸せになれる様な宗教ではありません。
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 (追伸):
 光り輝くあなたがたは・・、
 キリスト教の原罪などありません、
 鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝くも
のをお持ちです、
 光り輝く佛性をお持ちの方です。
 すぐキリスト教を離れなさい。
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 (参考)し‐ふん【私憤】 個人的な事柄でのいきどおり。
   個人としていだく怒り。「―を抱く」⇔公憤。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /