見通しは・(むずかしく)暗くなって来る・・、

光り輝くあなたがたは、キリスト教の原罪などありませ
ん、鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝く
ものをお持ちです、光り輝く佛性をお持ちの方です。すぐ
キリスト教を離れなさい。
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 題:見通しは・(むずかしく)暗くなって来る・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 東京大学を卒業し・・東京工業大学の教授をした・・、
 八木誠一氏は・・、
 「キリスト教研究が進み、その研究が細部に至って来れ
ばくるほど・・、
 イエス像の再構成の見通しは(むずかしく)暗くなって
来る」・・と言う。
 今、イエスは本当に居たのか?・と、言われている・・、
 イエスの実在性さえ『立証できない』ことになっている。
 古代の・・、
 歴史のある一時期、キリスト教の組織が・・、
 事もあろうに・・、
 良かれと思ったのだろう・・、
 宗教的に不利になるからと・・、
 キリスト教の文献を廃棄するという馬鹿な、破廉恥な行
動をやった。
 結果、イエスの実在性の証明さえ出来ないということに
なってしまった、イエスの存在の立証が出来ないという自
体に、陥(おちい)ってしまった。
 また、氏は、「史的に再建されたイエス像は、たかだか
蓋然(がいぜん)的妥当性の域を出ない」・・と、
 その歴史的な存在・史的なイエスの実在があやふやだと
伝える。
 そして、イエス像の再建は無理なことと言っている。
 また、氏は、「イエスの思想は新約思想の部分であり、
全部では無い」と衝撃的な事を説明する。
 イエスの事を書いたのが新約だというキリスト教の論理
は成立しない。
 新約のイエスは作られた。創作(作ったもの)の新約と
・・。
 また、氏は、「イエスの思想を規範とするのなら、原始
キリスト教団の思想(神学)の多くは切り捨ててしまわな
くてはならない」と言う。
 つまり、イエスの思想(神学)と、原始キリスト教団と
は対立していると、その多く点が違っている・・という。
 (同一のものだと言う方がおかしい)と言っている。
 また、氏は、「イエスの思想(神学)は、神学的にその
根拠が明白ではない」という。
 ここは大切な点だ。つまり、イエスの思想は、『神学的
に不明確だ』と糾弾された。神学的におかしい?・・と。
 イエスは、神だとされて・・、
 実在したとされて・・、、
 実在したのだから、その言葉があるのだとされて・・、
 しかし、最後に、カウンターパンチの如くの『決定的ダ
メージ』を食らう。
 ノックアウトという状態・・の話に至った。
 肝心の、そのイエスの神学がおかしいと・・、
 イエスが行ったという言葉の・・その思想(神学)が、
神学的に駄目だと・・最終的駄目出しのハンコウを押され
てしまった。
 そして、氏は、「イエスが人々へ訴えかけ、問いかけて
いるとされているが、その古代の人々を越えて現代の人々
にも訴えかけて来なければならないのだが、イエス中心主
義には、その様なことは不可能である」・・と。
 原始キリスト教団の神学に由来する、その教団の流れの
神学を、イエス中心主義は、批判さえした・・と。
 ここがキリスト教の神学的な弱点になっていると・・、
 また、哲学的な弱点になっている・・と。
 このイエスの思想(神学)と、キリスト中心主義的神学
の流れの三位一体神の神学的・哲学的な存在が、対立して
いる結果となっている・・と。
 つまり、イエスの思想(神学)は、今・現代のキリスト
教神学と対立している・・と。
 キリスト教が、新約の世界になった、『イエスなのだ』
となったとしているが・・、
 逆から見て言えば、そのイエスの思想(神学)とキリス
ト教神学(キリスト中心主義的神学)の対立は、その中心
に居ると思われているイエスの存在が逆に、大きな齟齬を
与え、足を引っ張っているというのだ。

 (参考)がい‐ぜん【蓋然】 たぶんそうであろうと考え
   られること。ある程度確実であること。⇔必然。
 (参考)そう‐さく【創作】 [名](スル) 1 文学・絵画
   などの芸術をつくり出すこと。また、その作品。「
   物語を―する」「―舞踊」 2 つくりごと。うそ。「
   そん...
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