人は何も出来ない、出来なくなる・・?

 題:人は何も出来ない、出来なくなる・・?
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 イエスは、ユダヤ教を信じていた。
 イエスが信じていたのは・・、
 はっきり、『キリスト教ではない』・・という事が・・、
 言える。
 また、大切なことは・・、
 イエスは、今後も、『ユダヤ教を信じていく』としてい
た。
 それは次のイエスの言葉で分かる。
 イエスは言う、
 『ユダヤ教を捨てなくてもよい』・・が、『直さなくて
はならない』・・と。
 そして、また、イエスは、大切なことを言う・・、
 『わたしは、そのために来た』・・と。
 つまり、イエスは、ユダヤ教を信じ、これからもユダヤ
教を信じて行きますが、ただ、ユダヤ教のすべてを捨てな
くても良いが、直さなくてはならない・・と。
 そして、わたし・イエスは、その為に来た・・と。
 このイエスの言葉は・・、
 キリスト教は、ショックなイエスの言葉だと思う、
 ここのところに触れたくないだろう・・が、イエスは、
この様に言っているのだ。
 また、イエスは、イエスの弟子たちから、「ラビ」とい
う『ユダヤ教聖職者』の呼び名で呼ばれていた。
 イエスの母・マリアもユダヤ教徒であった、ユダヤ教
信仰していた。
 ユダヤ教エルサレム神殿に『御参りに行っている』。
 イエスの家の家計は、そう裕福ではなかったのであろう、
エスの母・マリアは、一番安価な捧げ物の『鳩』を持っ
て、『ユダヤ教の神殿参り』をしている。
 イエスは、ユダヤ教を信仰はしていたが、そのユダヤ教
を完全なものとみていなかった。修正の必要性を感じてい
た。
 そして、更に大切なことは・・、
 イエスが召命された目的を『ユダヤ教を直すため』と思
っていたことだ・・、『わたしはなおすために来た』と。
 イエスは、ユダヤ教の改革者として来た・・と。
 パウロキリスト教のために考え・・、
 キリスト教の宗教企画に考えた・・、
 ユダヤ教正典に書かれている『人間の贖罪の理由ではな
い』。
 イエスには、この様な、『パウロの様な考え』は、まっ
たく無かったということが分かる。
 イエスは、ユダヤ教が姦淫を最も重い罪にしている事も
直したいとした。
 この様なユダヤ教のところを、『直しをしたい』とイエ
スは考えていた。
 また、ここのところのイエスの論理は、人は生まれなが
らに罪を持っているので、罪のある者が姦淫した者を咎(
とが)めるのはおかしいというのが・イエスの理屈だった。
 しかし、この理屈で行けば、人は何も言えなくなるとい
う事が分かる。
 姦淫どころか、誰も、何に対しても、何もできなくなる。
 人は、世の中を直せないし、発展出来なくなる。
 国会の審議なんかは、『してはいけません』という事に
なる。
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 (参考)しょう‐めい【召命】 《(ラテン)vocatio religiosa》
  キリスト教で、神の恵みによって神に呼び出されるこ
  と。伝道者としての使命を与えられること。
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 そして、つぎの話・・、
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 「自分で解決できるわけがないでしょう」。
 神を意識して・・、
 キリスト教は言う。
 キリスト教は、本当に、他に、何でも委(ゆだ)ねると
いう宗教だ。
 それが「いいのだ」と言う、
 キリスト教は、この件を、強(つよ)く強(し)いる。
 キリスト教の神が存在していると考えているからである。
 自分で考えたり、したりする事を否定する。
 「駄目だ、駄目だ、自分で考えちゃー」である。
 そして、自分で解決しようとすることも否定する。
 「自分で解決できるわけがないでしょう」と言われる。
 そして、キリスト教は言う・・、
 「人間が、価値など判断するなど、本来人間にできる事
ではない」と。
 そして、言う、
 「それは、(キリスト教の)神、創造主なる神がする事
に外ならないのです」と。
 人間が、そこをやってしまっては、キリスト教の神がな
すべきところを「やってしまっている」と・・、
 その様に、キリスト教から言われる。
 そして、キリスト教は言う、
 「(キリスト教の)神がなさるのです」。
 「それが、神の愛です」。
 「キリスト教の神の愛は惜しみなく与える、与えられる
のです」と・・。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
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