パウロの回心は・・・、

 題:パウロの回心は・・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教を作ったのはパウロ
 キリスト教の本には、
 「パウロがいなければ、キリスト教は、ユダヤ教の一つ
の派のままで、終わっていたかもしれない」・・と、説明
している。
 原始キリスト教を作った一団の人たちは、当然、それ以
前は、ユダヤ教徒であったのだが、
 ユダヤ教より遊離し、疎(うと)まれていた。
 そして、破門されてしまう。
 すぐに、別の宗派を作るというわけでもなく、
 ユダヤ教エルサレム神殿などを拠点としていた。
 この本は、ここの部分の説明には触れず、ただ、パウロ
の存在だけが、キリスト教の存立に貢献した的にのみ書い
てあるが、
 「ユダヤ教に破門されたこと」が、大きな一つの転機・
原因・要因になっている。
 パウロの働きかけも、「ユダヤ教からの破門」が無けれ
ば、無かったと考えられる。
 パウロは、ある出来事で回心し、キリスト教になったと
いう。
 そしてまた、彼は、「イエスの十字架の刑死を、旧約聖
書にもある贖(あがな)いの死」と結び付け、
 そして、これまた旧約聖書に記載してある「復活』と結
び付け、
 この2点のみによって、新しい宗教(キリスト教)の宗
教骨格とした。
 パウロは、イエスに会った事も無い。
 パウロは、イエスの『刑死』と『復活』だけを、宗教企
画に採用し、
 イエスの「人となり」や、「イエスの行動や活動」など
のこと、
 また、「イエスの言葉・哲学・考え」などは無視し、棄
てた。
 パウロは、ガリガリユダヤ教徒だった。
 キリスト教徒を捕まえ、殺害までもした男だった。
 パウロは、小アジアのキリキヤ地方(大分、ギリシャ
近い所)のタルソに生まれた。
 タルソは文化都市だった。
 パウロは、ローマの国籍を持つ、ユダヤ人だった。
 ギリシャの文化と教養を身に付けていた。
 青年時代に、エルサレムに留学し、
 熱心に律法を勉強し、
 ユダヤ教のバリサイ派の人となった。
 そして、せっせとキリスト教徒を捕縛(ほばく)し、牢
屋に入れた。
 この頃、パウロは、サウロと称していた。
 パウロは、ユダヤ教の大祭司から添書を貰い、
 キリスト教徒の脅迫・殺害をしていた。
 その様な行為を、せっせとやっている時に、回心の切っ
掛けとなった出来事の出会ったという。
 これを、キリスト教は、例の如く、オーバーに、過大に
プロパガンダ(嘘宣伝)で言うが、
 この時に、パウロに同行していた同行者たちには、誰に
も見えなかったと言うし、
 声だけが聞こえたと「使徒行伝」に書かれている。
 また、この「使徒行伝」を書いたルカ(ルカによる福音
書を書いたルカ)は、よく嘘を書くという。
 よく言えば、文学的に表現をする癖のある人で、『史実
が二の次になる人』と言われているので、
 真実がどこまでかは、非常に不確定である。
 事実、パウロ自身が、その様な事を何も述べていない。
 まったく、キリスト教のでっち上げの感が強い。
 本当に「嘘つき宗教=キリスト教」だと軽蔑する。
 パウロは、ただ、(「ガラテヤの信徒への手紙」1・16)
で、
 「御子(みこ)をわたしの内に啓示して下さった」・・
とだけ言っている。
 これは、キリスト教についての本にも「精神的な事だけ
のこと」と書いてあるが、
 パウロの心の中に起きた事だけの事といえる。
 精神的な事を、まったく、デッチアゲするキリスト教
図なのである。
 パウロには、キリスト教徒の「ステパノ」が殺される時
の様子が、影響していたと言われている。
 パウロは、このステパノの死を目撃している。
 この様なことや、自分のしている事に、「すき間風が吹
いて、方向転換をしたのだろう」。
 啓示とのみだけを、自身は言ってるが、
 この事を始点としてできたキリスト教が、何人の人々を
死に追いやったかは、筆舌につくせぬ数、分からぬほどの
膨大な人数が、死んだ・殺された。
 また、パウロ本人が、何人のキリスト教徒を獄舎に繋(
つな)いだか、また、死に追いやったかは分からないが、
その無力感を感じたのだろう。
 何しろ、彼の以後、キリスト教は、南米などで、非常に
多くの人を殺し、また、ヨーロッパ大陸においても、ヨー
ロッパの方々の3分の1が死ぬという悲惨な戦争をしたりと、
酷い宗教の顔を現わす。
 そして、その様な事態が起こやすいという『劣悪な教義』
キリスト教は持っている。
 これからの人類のためにも、この宗教は、この地球上に
存続させてはならないのである。
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 (追伸):
 原始キリスト教の人々と言うのは、
 後代の人々が、勝手に、名付けただけであって、
 原始キリスト教の方たちは、『キリスト教でも何でも無
かった』。
 彼らは、後に、新約聖書とされる文を、徐々に、書いて
行くが、
 後に、正典になるなんて思ってもいなかった。
 原始キリスト教の人々は、キリスト教では無かった。
 ユダヤ教聖典キリスト教旧約聖書というが)のみ
を、聖典とするユダヤ教徒だった。
 そして、ユダヤ教から破門されて、キリスト教の方へ流
れて行っただけ。
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(参考)そえ‐がき【添(え)書(き)】 [名](スル)
1 書画や器物などに、その由来などを書き添えること。ま
た、その文言。添え筆。 2 手紙などの終わりに、さらに
書き添えること。また、その文章。追って書き。添え筆。
「署名のあとに―する」
 (参考)ファリサイ派(ファリサイは、ヘブライ語: פרוש
ים‎)は古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀
元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダ
ヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサ
レム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビ
を中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作
っていくことになる。現代のユダヤ教諸派もほとんどが
ファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的
に非常な重要なグループであったと言える。ファリサイ人、
パリサイ派、パリサイ人(びと)などと表記されることも
ある(ファリサイ人、パリサイ人と表記される場合は、厳密
には「ファリサイ派に属する人」を意味している)。なお、
ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間
と自らを分離するという意味合いがあると考えられている。
現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユ
ダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。
                (wikipedia)
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /