キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、

 題:キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本のおとぎ話も・・、
 キリスト教聖職者のアウグスチヌスの様に、解釈し、美
化すれば、1つの宗教が出来あがる・・と言える。
 アウグスチヌスという人は、今までのキリスト教の話を
神の恩寵などを利用し、美化し、ありがたく仕上げていっ
た。
 例えば、日本のおとぎ話の桃太郎の話で(1)「おじい
さんは、神の啓示があったから、おばあさんに川に洗濯に
行くように言った」・・としたり、
 そして、神の恩寵があったから、信仰心のあるおじいさ
んとおばあさんに、川上から大きな桃がドンブラコと流れ
て来ました・・という様に話を進める・・
 そしてまた、(2)アウグスチヌスは、神の権威を高め
ることをした。
 例えば、おじいさんの啓示は、天が光り輝き、まぶしく
光る「光の中」から声だけが、神の声だけが聞こえました
・・と。
(3)そしてまた、おじいさんは、力が必要な仕事、山へ
のしば刈りの仕事を引き受けるのでした。優しい神の愛の
教えが備わっていました・・とかと、
 また、(4)神の恩寵の御蔭で、おじいさんとおばあさ
んに、かわいい男の子ができました・・と続いて行く、
 このほど作用に、アウグスチヌスは、キリスト教の話を
美化し、脚色した。
 つまり、アウグスチヌス(354年〜430年)は、キリス
ト教聖書全体を神の救いの思想にまとめあげた。
 アダムの一件も、人祖アダムが、『原罪を背負う』とい
うことにし、神の刑罰を定めた。
 神ではなく、アウグスチヌスという人間がその様に考え、
信仰心が湧く様に仕掛けた・・ということ、
 そして、神は、特別な憐れみで恩寵を賜り、キリスト教
を信じるものを救うとした。
 (ただし、キリスト教はこのところから、キリスト教
信じる者だけを、特に異常に意識したため、以外の人たち
に対し、異端意識が強く出る。そして、「異教徒は殺せ」
の教義の如く、他宗教徒は殺せとなる。異端や異民族など
を極端に嫌い、排斥するキリスト教が生じて行った)。
 そして、アウグスチヌスは、これ等の事が、キリスト教
会を通じて達成されるとした。
 教会への権威付けである。
 教会は喜び、アウグスチヌスを『聖』とした。
 キリスト教会に力を持たせたことにより、この後、悲惨
な歴史が待っていた。その原因が『ここ』にあった。
 キリスト教会が、これから、考えられないくらいに悪の
横暴にふるまって行く。
 キリスト教会内に『異端審問所』ができ、多くの人を殺
し、また、魔女の『キリスト教裁判所』ができ、人々を殺
しまくった。ヨーロッパのある村は、魔女を焼く煙で曇り
の日の様な状態だったと伝えている。ユダヤ人虐殺など、
まだまだ色々な悪行為をしている。その悪行為の手先が教
会の聖職者たちだった。
 アウグスチヌスは、この様な「神の国思想」を創り上げ
た。
 彼のこの思想は、キリスト教の思想の規準とされた。
 キリスト教は、この彼が作った思想に、あたかも、ここ
に立つ瀬があるとしがみついて行った。
 この様に、アウグスチヌスは、キリスト教文化の支柱を
作ったとあがめられ、「聖」を付けて呼称された。
 この彼の、アウグスチヌスの聖書解釈方は、これ以前に
あった霊や比喩による方法より、過去を引きずって居り、
客観性に乏しいとかの批判がある。また、多分に思いつき
的だとの批判もある。
 彼は、教会の教義に適合させて解釈しようとして、かな
り無理なこじつけやデッチアゲ的な事もした。
 あまりにも教会の立場に立つ形で、教会サイドで解釈を
する人だった。教会は大いに喜んだ。
 これらのことは、16世紀のルネッサンスの時になって、
やっと批判が、ある形となって、日の目を見る事ができた。
 教会の権威が薄められる動き・反動が現れた。
 教会の権威の否定である。
 いずれにしても、キリスト教の枠内なので、人々は救わ
れないのだが、この動きを潰そうと、ヨーロッパでは、キ
リスト教同士の大戦争が勃発した。
 ヨーロッパの方々の3分の1の方が亡くなるという悲惨な
ものだった。
 キリスト教の劣悪な教義ゆえに「起きた戦争」、キリス
ト教の劣悪な教義ゆえに「止められなかった戦争」、
 死ぬのは、何時も、庶民だった。
 それでも、キリスト教は劣悪教義に悶(もだ)えるのだ
った。
 「神の国による救いは、地上でこそ実現すべきではない
のか?」・・と、等。
 イエスの人格にもっと注目すべきだ。パウロの『イエス
の人格無視路線』への批判である。
 イエスはキリストだ。イエスの教えと人格をもっとまと
もに捉え、このイエスの教えと人格から救いがおよぶとし
なければならない・・と。キリスト教はこの救済路線に変
えろ・・と。19世紀になって、やっとこの声が出てきた。
 「リッチュル(1822年〜1889年)」という男だった。
 キリスト教は愛の宗教だなどとの宣伝はでっちあげだ、
プロパガンダだ。
 結局、自分の事しか考えない歴史を経過してきた。
 権威が欲しい、そして、魔女殺しの目的はお金だった。
 組織も大きくなっていくと先立つものはお金だった。
 それを得る手段として卑劣な事をしでかした・・など。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU