古代の時点で・・『役目』は・・終わっている・・

 題:古代の時点で・・『役目』は・・終わっている・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の民は・・、
 その民の祖先は・・、
 チグリス・ユーフラテスの河畔の町・ウルにいたことは
既に話した。
 キリスト教聖書も・・この河畔の町を出立するアブラハ
ムたちから始まっている。
 目指す地は・・安定した豊かな生活が出来るところ・・
誰もが求めるところをを求めた・・当然だった、
 その願いが実現する地・・を、・・目指した。
 彼らは・・彷徨する・・羊を追いながら・・、豊かな
沃野があるという パレスチナへ向かった。
 当然、その様な豊かな地には、すでに奪い合いをする先
住の民たちがいた。
 本当は・・
 チグリス・ユーフラテスの地に居た方が良かったのだ・・
 パレスチナの沃野といったって過酷な戦いの奪い取りが、
彼らに・・待っていた・・
 キリスト教の話の初めは・・間違っていたのだ・・
 チグリス・ユーフラテスの河畔は・・豊かな降雨に、天
の恵みに満たされていた・・
 エジプトのナイルに匹敵する文明さえ栄えた・・優れた
文明を芽生えさせる力のある豊かな余裕のある地・メソポ
タミア文明の地だったのだ。
 メソポタミアを去り・・、パレスチナに向かった民の・・
これからのこと、あまりの不幸を思うと・・その様に思え
る・・。
 パラスチナに来たキリスト教を生んだ民は・・、沃野を
奪い合う・・殺戮が現出する・・、
 また、飢餓の状況下にさ迷う・・生きるすべを求めて、
 戦乱も、しばしば起きて・・負けてばかりいた民・・
 また、身分を落としてでも・・ナイルに恵まれるエジプ
トに流入し、生きる糧を求めた・・その民・・
 この様に、生きることの問題点が多々ある地へ・・わざ
わざ来たという状況だった。
 インドの物品が、メソポタミアを経由して、エジプトで
発見されるという事実があるが・・、
 「一神教の壁があるんだ」とのキリスト教の嘘・・プロ
パガンダ(嘘宣伝)は・・本当に真実を愚弄(ぐろう)す
るが・・、
 キリスト教の民の自らの祖先が・・メソポタミアから来
た訳があるのに・・その壁が・・一神教の壁があるわけが
ない・・。
 近代の研究において、インドの民話が・・メソポタミア
にあることが見い出され・・、
 そして、そのメソポタミアから・・パレスチナに地に伝
わり、聖書の中にあることが確認されている。
 ギリシャの商人が・・インドの仏塔(ストゥーパ)の
供養をしている事実もある。
 このギリシャの商人は・・ギリシャから交通の要衝・パ
レスチナの地を通り商売をしている。インドへ、通商で通
っていたのだろう。
 イエスの生まれたガリラヤの地は、その様な異邦人たち
が多く居たという。
 そして、飢餓からの苦痛・・その苦痛から脱したいと・・
エジプトに流入したパレスチナの民・・、
 出入りが自由な状況のエジプトであるのに・・そこから、
脱出させたのだというキリスト教聖書の「出エジプト記
の嘘・・、
 このリーダーだったと言われるモーゼ・・、この人は実
在はないと歴史家が指摘した話もすでにしたが・・、
 チグリス川・ユーフラテス川の畔(ほとり)に居れば、
この様な事は無かったであろうにと思うこの話を含め、
 イスラエルの民の姿は、悲惨さに満ちている。
 女性や子供、乳幼児を抱え、病人を抱え、さ迷う悲惨さ。
 民族が存続して行く何かを・・欲していたのだろう。
 その一つを宗教に求めたのだろう・・。
 決して・・決して・・世界の宗教の思想ではない。
 そしてまた・・事実か否かは別にしても・・、
 イエスが、十字架を担って刑場へ向かう時・・、
 あるユダヤ人の家の前で休ませてくれとイエスが頼んだ
時、このユダヤ人が拒絶したという・・、
 その時、イエスは、「汝、我の来たるを待て」と答えて
立ち去ったという・・、
 これが・・以後、ユダヤ人が故郷と安息を失った原因だ
ったという話もまた・・陰湿だ・・、呪いをかけたという、
 また、キリスト教修道院の記載によれば(13世紀の記述)、
 ピラト総督の下で裁判所の門番を務めていたユダヤ人が、
 イエスを打ちたたいたために、やはり、同じようにさ迷
う運命になった言っているという・・キリスト教の主張。
 また、この様なキリスト教プロパガンダ(嘘宣伝)に
乗せられたナチスは・・ユダヤ人いじめを行い、映画まで
作って「不変の人種的特質が、ユダヤ人をさすらう文化的
寄生虫」だとまで言わしめるている・・この様なことまで
させるキリスト教による・・悪影響も卑劣だ。
 このユダヤの方々の離散を・・『ディアスポラ』という
が、この語彙は・・「撒(ま)き散らされたもの」という
意味だという・・
 そして、悲惨なことに、この言葉が、『難民』という言
葉と違い、『難民』という言葉は、元の地・故郷へ戻る意
味があるが・・、
 この『ディアスポラにはない』という事だ。悲惨だ、卑
劣だ。
 チグリス川とユーフラテス川の河畔から出た時から、も
と来た故郷には戻れないという運命が・・キリスト教を生
んだ民にはあったのだと言える・・この運命が・・、
 行き先の自然環境が豊かではなかったという悲運な運命
が大きく関わり・・、その結果から、出来たこの宗教が・・
この自然環境と・・この経緯から・・大きく影響され、キ
リスト教として出来あがった・・、
 決して、世界を視野におさめた宗教では決して決してな
い・・狭い・・狭量な・・民族の宗教なのだ・・
 厳しい砂漠環境下の・・生きるための民族の生存の宗教
となった。
 その様な性格の、DNAの宗教を・・それを世界に適用
させる・・また、適用すると・・不幸なことになる。
 関東学院大学富岡幸一郎教授が必死にイエスは豊かな
ガリラヤの地だと言われるが、そのイエスパウロは棄て
た。それに反発した原始キリスト教もある。
 キリスト教が多くの路線、今・現代も同じDNAをキリ
スト教は持っていて多くの分派がある。多くの派に分かれ
ている。
 そして、何しろ、生き残る、自民族が生き残る、その愛
も同民族の愛だという宗教の民・・、
 世界への観念は無いのと同時に、世界の民への愛はその
様な経緯から同じく皆無・・、
 最後は、自分さえ、自分の口が可愛くなればそれでよい
民族宗教なのです。
 聖書の記述は、今・現代でも、そのDNAの記述に満ち
ている。
 そのための、他民族の殺し方まで指導する神なのだ・・、
 この様な教義を払しょくしきれない宗教・キリスト教
次世代に伝えて行ってはいけない宗教なのだ・・、
 宗教の出来あがる基板の民のレベルも低かった。殺して
はいけない、盗んではいけない、女性を犯してはいけない
と言わなければならない民だった・・、
 この様な面からも、当然、世界宗教としてはいけない。
 「異教徒は殺せ」「魔女は生かしておいてはならない」
などの殺人指令もある教義、そして、モーゼの十戒が示す
様に「殺すこと」「女性を虐げること、姦淫など・・また
女性蔑視など」「盗むこと」などなど・・世界宗教たり得
る点は何もない状況・・、
 洗練されて、民意がはるかに高い現代において、この様
な古代の宗教は、通用してはいけないのです・・通用させ
たら悪の結果をもたらします。
 イエスも姦淫について、あまりに多く・・とやかく言っ
ているが、この様な事を言わなければならない状況から、
世界へ通用する様な観念が出て来る訳はなかった、その状
況ではなかった。
 今でも女性を司祭にしないとか・・宗教組織自体も腐っ
ている。
 そして、次の話。
 キリスト教は、「らい病にかかった人を汚(けが)れた
もの」としている。
 そして、ひどいことに「隔離するか、追放してしまえ」
としている。(「レビ記」13)だ。
 何しろ、キリスト教は、人道的にひどいことを言う宗教。
 人を、大勢、『正義だ』と殺戮した宗教であるのはご存
じでしょうが・・、(「民数記」5・2」にも、
 「重い皮膚病に罹(かか)っているものや死体に触れた
汚れたものを追い出せ」というのもある。
 有名な・・「女と寝る様に男と寝てはならない」(「レ
ビ記」18・22)の様に人種差別(同性愛者差別)の教義・
差別の考え方もある。
 遅れた宗教なのである。古代の時点で役目が果たされた
宗教なのである。
 こんな事は、絶対、キリスト教聖職者は言わない。キリ
スト教聖書に書いてあることなのに・・。
 そしてまた、次の話。
 キリスト教のイエスは、『キリスト教会の必要性』を言
ってない。
 キリスト教教会は、使命があると言うが・・、
 イエスは、そんな使命など言ってない。
 この基本使命が・・明確に指し示されていない。
 キリスト教会は、ガラガラ変化し続けてきた。
 生きる糧を得るという事が、古代からキリスト教を生む
民の願いだった。
 それを、キリスト教会は、キリスト教会内で祈ることで
得られると言う。
 そして、神が働いていると告げられられると洗脳する。
 こうして教会内で告げられないと、自覚しなくなるから
である。繰り返し洗脳されるところである・・
 このキリスト教の神の存在は、その様なものであり、マ
ザーテレサさんは、『正直に』、キリスト教の神の存在に、
悩まれたことを告白した。
 また、生涯続いたこの「キリスト教の神の不存在の事実」
を、隠すことなく白日の下(もと)にさらした。
 これが、彼女の偉いところであり、正直なところである。
 彼女は、『キリスト教の神の実在を実感しなかった』の
である。待ち続けるとこうなります・・、
 キリスト教の教会というところは・・、
 この様なキリスト教の神が実在していると・・信じさせ
ようというところとして・・建設されたところ。
 キリスト教会は言う、「素直に聞きなさい」「考えるな」
「神を待て」・・と。
 マザーテレサさんは、死ぬまで、悩み、待ちました。
 キリスト教会で、キリスト教聖職者は言う、
 「説教そのものが・・神の言葉なので、ありがたいので
す・・と、独善の・・上からの・・聖職者の言葉が・・教
会というところでは・・降り注がれる・・洗礼の水の如く
に・・純真な方たちの心に、特に、強烈に突き刺さる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/