イエスの言葉より・・発した・・・

 題:イエスの言葉より・・発した・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 人類の歴史において、
 多くの戦争の原因となり、
 また、驚くべき多くの、
 筆舌に現わすことのできない、多くの数の人々の・・
 『死の原因』となったのは、
 イエスの言葉より発した。
 (「ヨハネによる福音書」8章)で、イエスは言う。
 「汝らおのが父、悪魔より出でて・・」・・と。
 ユダヤの方々を『悪魔より出た民族だ』と決め付けた。
 イエスが言った。
 2世紀に作られたという「ヨハネによる福音書」にある。
 また、政治的な作為があって作られたという言い訳もあ
る。
 この言葉で、ユダヤの方々は、以後、拭(ぬぐ)うこと
のできない『悪魔の民だとのレッテル』が貼られてしまっ
た。
 イエスのこの言葉には、まったくもって、『憤りが頂点』
に達する。
 何が愛なのだ・。怨(うら)みだけではないか。
 この言葉を始めとして、悲惨な歴史が、延々と、ユダヤ
の方々に降りかかって行く。
 そしてまた、
 キリスト教の卑劣な教義である「同罪報復を認める教義」
である。
 神の正義なのだからと、『同じ報復をしてよい、そして、
しろ』と言う。
 その様な事を言う『神も神』である。
 「眼には眼を」である。
 この様に、卑劣な仕掛けを、「人類の歴史に仕掛けるキ
リスト教」なのである。
 結局、人間同士なのに、神の正義なのだからと・・。
 神を名乗って、『同罪報復』を、『相手を傷付ける行為』
を、堂々とする。
 そして、『それを良し』として教え、『そうするべき』と、
洗脳するキリスト教。神の正義なのだ・・と。
 洗脳・コントロールされた頭を持ったキリスト教の信徒
の方々が、同罪を与えようと、『武器を持って』、卑劣な
行為に走る、およぶ。
 卑劣な宗教だ。
 この様な解決策しか与えられない、劣った宗教だ。
 神という御旗を立てて・・、
 結局は、地獄の悪魔の行為にしかおよべない。その様な
教えしか信徒の方々へ与えられない。
 力のない劣悪なキリスト教によって、人類に仕掛けられ
た、同罪の報復の連鎖は続いて行く。
 益々、世は悲惨さが増す。
 悲惨さを繰り返させる、繰り変えす劣悪な宗教教義。
 無くなって消えるという論理システムではない『キリス
ト教の劣悪宗教教義』。
 ユダヤの方々も、終世、『悪魔より出た民、キリスト殺
しの同罪報復の対象の民』との、呪いのキリスト教の教義
の暗示の中で、苦しみもだえ殺されて行く歴史となる。
 キリスト教の、『『卑劣な暗示の仕掛けが悪い』』ので
ある。
 『呪いの宗教パターン』が悪いのである。
 劣っているのである。
 「汝等の宗教・キリスト教こそが悪魔の宗教」だという
ことが気が付いていない、気がつかない。
 同じ福音書の章でヨハネは書く、イエスが言うと、
 「もし(汝ら)アブラハムの子ならば、アブラハムの業
をなさん。しかるに汝らはいま、神より聴きたる真理を汝
らに告ぐる者なるわれを殺さんとはかる」・・と。
 ここで、イエスは言っている、同じアブラハムの、この
同民族ならば、アブラハムのことをしろ・・と。
 そして、汝らの信じる神から真理を聞いて来たわれ(イ
エス)なんだからその言葉を聴くべきなのに、聞かず、ま
た、信じもせず、われ(イエス)を殺さんとする(そして、
結局、十字架に掛けてしまった)。
 イエスの言葉は、われ(イエス)の言うのが正しいのだ
から、『お前たちが悪い』の一点張りの思考パターン。
 『同じアブラハムではないか』と言っているところも、
思考範囲が、同民族内の自分だけのポジションから発想し
ていて、思考の発想基盤が非常に狭い状況となっている。
 イエスの思考領域が、『民族レベル』ということが分か
る。
 キリスト教も、同じく、狭い思考基盤の宗教となってい
るが・・。
 所詮、神から『選民』として、選ばれた民だけの優越意
識だけの宗教・思想となっている。
 そして、イエスは、われ(イエス)、神の言葉を聴いて
いるのに、汝ら(ユダヤの民)が、それを聞けない『汝ら
が悪い』と、相手だけを悪者にする思考パターン。
 そして、われを聞けない汝らが同罪報復を受けるのだ、
悪いのだからとなる。
 そして、われを殺した・・と。
 そのユダヤ民族側にも、「同罪報復」の発想・思想が働
いている。この愚劣な考え方・思想・教義が悪く働いてい
る。
 イエスへの死による同罪報復である。
 愚劣な報復が続いて行く。
 どちらからも歩み寄りがない。
 仏には、仏の様に常に寄り添い、分からないならば「分
かるように、悟るように」・・、
 何時も相手の身になって、
 「何時も、分かれる様に、悟れるように、色々な譬(た
とえ)の話・言葉を加えて、手を差し伸べて、分かるよう
に、悟れる様に」・・と。
 ここには、お互いが相手を思いやる心だけがある。
 何ら相手への恨みや同罪報復の思想・心・発想はないし、
生まれない。
 愚かにも、このイエスの怨(うら)みの暗示の言葉が、
 人類の歴史にずーっと付きまとい、
 何人の人に、非常に多くの無念の死が発生し、させられ
たか。
 さらに、卑劣・愚劣なことに、イエスは、
 この「ヨハネによる福音書、8章」で重ねて言う、
 「かれ(ユダヤ人)は、はじめより人殺しなり」。
 イエスは最後に、吐き捨てる様に言う、ユダヤ人は人殺
しなのだ・・と。
 呪いのキリスト教。教義を止めよ、そして、変えよ。
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