その行為を、特別視し、信仰対象とした。

 題:その行為を、特別視し、信仰対象とした。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 イエスが、実際に、実在したかは確定できないのが現状な
のだが、イエスが在世の頃、
 ユダヤ民族は、様々な重圧を受けていた。
 武力でユダヤ民族の権力を奪った「ローマ帝国」。
 そして、民は、ローマ帝国に『富み』を吸い上げられた。
 また、その「ローマ帝国に媚(こ)びる、ユダヤ人の裏切り
傀儡(かいらい)政権」。
 その様な政府だから、民へ重圧をかけた。
 そして、『ローマ帝国のお先棒かつぎ』の手先のユダヤ人の
徴税人(民から金を取り上げた。取り上げれば取り上げるほど、
自分の身入りが良いというシステム・規則だった)。
 そしてまだ居る。民へ弱い者いじめをする者が。
 山の頂(いただき)に神殿を作る、一握りの宗教的な特権集
団、エルサレム神殿の聖職者たち。
 宗教を誇示しながら、民へ「神殿税」を掛け、「旨(うま)
い汁」を吸っていた。
 この様な、様々な重圧を受けていた民。
 心理的重圧も、現代からは想像を絶するものだったと思われ
る。
 それ故、イエスの癒(いや)しの行為は人気だった。
 医学の発達した現代、イエスの行為の必要性は『広い』こと
が分かっている。
 身体的機能麻痺について、想像以上に多くの麻痺が「心因性
の原因と、起因するということが分かっている。
 イエスは、心療的治療師と言える。
 イエスの治療を欲していた民も多かったのだろうと、それも
絶大に多かったのだろうと想像できる。
 イエスの奇跡物語はここから生まれた。
 現代医学からは、当然のこととして証明できること。
 今では、普通のこと。古代だから、珍重されたのだろう。
 奇蹟的にも、神がかり的にも見えたのだろう。
 そして、「この奇跡感」や、「神がかり感」から、キリスト
教は生まれてきた。
 その行為を、特別視し、信仰対象とした。
(追記)
 この時、「イエスに触(ふ)れたがる群衆」や、「さわりた
がる群衆」が、多かった・・というのは、完全に、病気治癒の
ため、病気が治りたいがためである。
 その目的で、イエスのところに集まった、押し寄せた。
 聖書学者は指摘する。「何故、これ等の群衆は、皆、癒(い
や)されたという記述がないのか?」と。
 結局、この状況から宗教性が付加され、宗教性をもって、癒
されるという「御利益(ごりやく)を求める」御利益宗教へと
移行していく。
 群集は熱狂する。それだけ、民は抑圧されていた。
     (詳しくは、以下のブログに)
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