結果・・未来がないことを説いている・・、

 題:結果・・未来がないことを説いている・・、
   (ひどい宗教である)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスは、ユダヤ人であり、ユダヤ民族の
中で生き、そして、生活をした。
 そして、イエスは、ユダヤ民族が持つ『終末思想』を、
また、持っていた、一般のユダヤ民族と何ら変わりなく、
当然のごとく、持っていた。
 イエスの生きた・・ユダヤ民族のその地の時代は・・、
 その終末思想が、はなはだしく強く、叫ばれていた時代
だった。
 社会は、戦争が多く・・、
 戦争に・・明け暮れていた・・、
 社会は、乱れ、倫理も、乱れ・・、
 社会だけでなく・・人心(じんしん)も、荒廃していた。
 宗教の中心の神殿には、神殿娼婦が居た。
 また、こともあろうに、一般社会の女性にまで・・その
神殿娼婦をする義務が・・課されていた。
 また、民は、可哀想な事に、重い税金にあえいでいた。
 当然、仲間であるべき一般人のユダヤ人の・・税金取立
人の「取税人」を、ユダヤの方々は恨んでいた。当然の心
である、
 また、この狭い地には・・多くの民族が、錯綜(さくそ
う)していた。
 その多くの民族が・・生きるための、生きる糧の奪い合
いの世の中、世情(せじょう)の中にいた。狭い「るつぼ
の中」でうごめいていた。
 その様な中でできたキリスト教は・・、その陰惨(いん
さん)な世情を、当然のごとくに・・写していた。
 キリスト教は、終末思想を持った宗教となった。
 これは、キリスト教聖職者も認めるところであり、否定
は・・できない。
 そして、キリスト教聖職者は説く・・言う・・、
 「人間の生命に・・終わりがある様に・・、歴史にも、
必ず終わりの瞬間がやって来る・・その様に、キリスト教
は考えている」・・と、
 その終末の時、キリスト教の神が、天国に入れるか?否
か?・・を、裁くと、説いている。
 しかし、キリスト教は、この様なキリスト教の教義を、
最近、訂正し始めている。
 前言取り消しの態度となって来ている。
 そういえば、キリスト教は、最近、『隣人愛』という言
葉を言わなくなった・・が・・、
 標記の件も・・、近代社会には受け入れられないと、キ
リスト教の教義の維持が難しくなったという。
 似たような話が・・話が、また、それるが、キリスト教
が、「婚前の男女の同居を認めていない」が、これを認め
るようにしよう、変えようと、これも、今までの教義を捨
てようという動きをしている。
 そして、同性の愛についても認めようと、同じく教義変
更しようとの話がある。
 キリスト教は悩み、大きく悩みうねっている、のたうっ
ている。
 キリスト教は、それらの「教義の維持」が難しいと悟っ
ている。
 あなたの、今、信じているキリスト教の教義も、何時、
変わるかもしれません?・・
 その様な、中にある信仰となっていることを、見つめ直
してください。
 何ら、キリスト教には「絶対なる信仰」の絶対なんてあ
りません・・、
 その様な確固たる教義のない宗教です。
 そして、その事が露呈している宗教の、昨今なのです。
 変わる宗教教義、信じるに価しない教義であり、その様
な宗教であるという実態が、如実に表れております。
 キリスト教聖職者でも、従来からのキリスト教の教義を
認めがたいという態度の聖職者も少なくありません。
 キリスト教の論理破綻・教理破綻の「波」が、「うねり」
が、あちこちで起きております。
 何しろ、古代の論理では・・無理なのです。
 キリスト教は、現代社会では、現代社会において、その
宗教維持は出来ないのです。その様なレベルなのです。
 古代人のレベルと、はるかに違う現代社会では、その宗
教教義は・・維持できないのです。
 キリスト教聖職者は、苦し紛れに、次の様に言う・・、
 「歴史の終末の有限は、無限なる歴史の中に取り込まれ
るのです」・・と・・、
 お分かりになりますか???
 何を言っているのでしょう・・もう、ここまで来ると笑
い話です。
 この様に言うしかないという言い方です・・、
 キリスト教聖職者は、言い逃れの職業と思えて来ます。
 キリスト教聖職者は、この様な言い逃れ論理を、考え出
さねばならない職業、苦し紛れにこの様に言っているので
す。絞り出しているのです。
 こんなレベルの話を、感受性の鋭い子供たちが、聞いて、
育って、正しい論理思考ができるように育つのでしょうか?
育ちますか???
 ますます、子供たちを惑(まど)わす事態に追い込む結
果になって行きます。
 こんなキリスト教聖職者が、社会に存在する意義はあるの
でしょうか?
 この様な破綻論理を吐く職業の聖職者は、完全に、その
存在意義は無くなっています。むしろ社会悪とさえなって
居ります。
 この様な破綻論理を吐かねばならないキリスト教聖職者
の方々は、反社会的存在であり、反社会的行為を行なって
居ります。
 キリスト教聖職者は、「終末は希望である」と言い出し
ている。
 しかし、何故? 死後の世界の、終末思想を、希望にする
どんなキリスト教論理が? どんなキリスト教の論理で希
望が生まれて来るのかは不明です。神と共に居られるから?
 現代に生きる希望は、古代と同じく捨てるのですか?
 イエスの時代も、この世のうちで希望を叶えよう、実現
させよう、出来るのだとして来た・・、
 しかし、その終末の論理は、とうとう乱れた社会で、現
実社会で、叶(かな)えられなくて、死後の世界で、神が
叶えると、変遷したという経緯のある終末思想、
 今・現代の聖職者が、希望が、どんな論理で生まれて来
るかは不明なのだが・・、
 キリスト教聖職者は、キリスト教の終末思想は、希望を
砕く悪の倫理と知って居て、あの世の天国でしか叶えられ
ない論理だと知っていて、それでは駄目だと知っていて、
希望を砕く悪の論理だと知っていて・・言う。
 「ハルマゲドン」という、キリスト教の訳の分からぬ言
葉を使って、輝く未来が開かれていると・・言葉だけは明
るく言う、
 言葉は明るく使ったが、論理はまったく無く・・、
 未来ある若者の希望を砕く・・、
 この様な、キリスト教の悪思想は、それこそ、今のこの
社会で・・終わりにしたい。
 キリスト教聖書は、特に、若者には読ませてはいけない。
 また、「フランダースの犬」という幼児向けの本も、キ
リスト教は、「第二のバイブル」として宣伝しているが・
・、
 この本の最後は・・、
 イエスの十字架の磔の絵の前で、主人公の子供と愛犬が、
冬の寒さの中で凍死するという場面で、天に昇るのだ・・
という事で、めでたしめでたしとしている。
 幼児にまで、死する事によって希望が叶えられるという
洗脳をする、マインド・コントロールするキリスト教なの
である。悪の宗教である。
 これから、この世で勉強し、世の中の方々のために、そ
の様な人になって行こうという未来ある子供たちに・・、
 この様な思想を・・美しいと美化して・・刷り込もうと
いうキリスト教
 反社会的な教義、
 反建設的な教義、
 健全な建設的なベクトルと真反対の死の中にあるキリス
ト教・・、
 社会の、建設的な心を砕く・・宗教である。
 この宗教では・・キリスト教では・・、
 人類は救済されません。
 あなた方も、幸せには、絶対、なれません。
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 (参考)いん‐さん【陰惨】 [名・形動]暗くむごたらし
   い感じ。また、そのさま。「―を極める」、
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 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009