近代の最先端科学は、『キリスト教の間違い』を証明した

近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』 を証明した

☆地上に神は存在しないというキリスト教の教えは、
 近代思想の基礎を築いた。
 近代の思想家たちは、
ヒエラルキー・統治・闘争の必要性を唱えるキリスト教の教えを受
け継ぎ、それを科学的に証明した。
 しかし、21世紀が近付くにしたがって、そうした思想には欠点
があるばかりか、科学的根拠も薄いことが分かってきている。
       (キリスト教暗黒の裏面史212頁 徳間文庫)
 (注)ヒエラルキー:ピラミッド型階層性・序列 

キリスト教ヒエラルキーは、
 神を頂点として、組織の構成要素すべてに優劣をつけて分類する
という考え方である。
 しかし、近代哲学者の思想は、現実は、たわいもない偶然の出来
事から成り立っているのであって、大きな意識によって意図的に生
み出されたものではない、という考え方である。
 多くの者は、今ではこう考えるようになっていた。
 神の意志に目を向け、それを理解しようとしても、真理は見つか
らない、と。
 機械的な宇宙の小さな要素を分析してこそ審理は見つかるのだ、と。
 宇宙が神の干渉を受けずに動いていることが科学的に証明されて
いる(同 214頁)

キリスト教は、自然界に神聖なものはないと考えている(神の居
る天のみが神聖である、と)。
 キリスト教イデオロギーから生まれ、近代思想家によって証明
されたさまざまな思想は、20世紀末を迎えた今では、科学的根拠
に欠けることが分かってきている。
 キリスト教の教義に関わった古典物理学には宇宙観を語れるほど
の知識がなかったことが明らかになった。 (同 223頁)

 1例として、ニュートンは、十分な情報を与えられれば、出来事
の結果を正確に予測できると思っていた。
 だが、量子力学によって、人間に分かるのは結果の「確率」にす
ぎないことが明らかになった。
 矛盾のない物理学を打ち立てようとしてきた科学者たちは、現実
のすべての物事について論理的に説明するのは不可能だと、自らの
発見によって認めざるを得なくなった。
 波動関数の研究をしていた科学者たちは 物質界が「心的」でも
あり、また「物的」でもあることを発見した。
 キリスト教の天地分離説を裏付けるものとして、古典科学者たち
は精神と物質が分離していることを証明してきたが、それは科学的
な真実ではなかった。 (同 224〜5頁)
 (キリスト教の間違いを確認する結果となった)

☆『量子力学の理論が正しいとすれば・・文字通りの物質界などと
いうものは存在しない。
 この結論は、それが存在しないかもしれないというような、あや
ふやなものではなく、その存在をきっぱりと否定するものである  
  (同 224〜5頁)

☆近年の科学者たちの功績によって、(ニュートンなどの)古典論
が科学的根拠の薄いものだったことが分かってきたのである。
 近代の科学的方法、すなわち、構成要素を細かく分析して、キリ
スト教的なヒエラルキーに当てはめるという方法も、今では考えな
おされている。
 近年の科学によって分かってきたことがある。
 それは、要素を分析するだけではなく、要素の全体的なつながり
もあわせて考えれば、真理により近づけるかもしれない、というこ
とだ。   (同 226〜7頁)
 
 ( 仏教は全くすごい。仏教の教義が、最先端の近代科学で正し
いことが証明されて来ている。仏教の教義の一つを例に、『一切衆
生、悉有佛性:(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・
 この世のあらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(
佛の性質、佛と成り得る資質)が備わっている。そうした生きとし
生けるものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時
は流れている。そのつながりの中で育んで行く』・・・この定義さ
れている仏教の考え方・教義が上記の近代科学の考え方と全く一致
している。そして、キリスト教の教義・考え方は間違っている事が
分かってきたと言われている)

☆今まで私たちは、キリスト教の恐ろしい歴史を見過ごしてきた。
 キリスト教の教えをさまざまな角度から検証する事もなかった・・
 気づくだろう。神は恐れと絶対服従を求める存在だ、と。
 教え込むことは、人間の精神を繰ることにほかならない、と。
 性差別主義・民族主義全体主義の根底には、
 唯一至高神への信仰がある。   (同 238〜9頁)

☆多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
 そうすれば、人類が自由に人道的に生きていくという理想を揚げ、
夢に向かって羽ばたくことができる。   (同 238〜9頁)

(方向性は多神教にある事が確認され、それが正しい方向性だと分
かってきた) 
(また最近、次の確認をした。来日された前パリ・ソルボンヌ大学
総長が上記考えと同じ発言をされていた。
 多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあり、
オリジナリティがある・・・など)