性悪説のキリスト教は、『社会悪をもたらす』。

 題:性悪説キリスト教は、『社会悪をもたらす』。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の思考形態は、『性悪説』です。
 物事を良く見ようという考え方ではありません。
 このキリスト教の否定的な思考形態の『性悪説』に洗脳
されて行くと、
 思考も、当然、その様になって行きます。感化されます。
 例えば、人間のマイナス面ばかりに、気がとられていく。
 『あの人はいやだわー』、『そう、○○さんもー』・・
と、世の中すべてを、その洗脳された性癖で見て行く傾向・
状態になって行く。
 また、キリスト教は、人間の性のマイナス面ばかりに、
気がとられていく・・「キリスト教的思考形態」は・・、
 どうしてもマイナス方向に囚(とら)われてしまい、
 性のマイナス面ばかりに、目を向けてばかりいる傾向に
陥(おちい)る。
 本当は、キリスト教の、その様な洗脳から逃れて・・、
 もっと性の素晴らしさに目を止めるべきです。世の中の
すべての素晴らしさに目を留めるべきです。
 女性にはこんな素晴らしさが在(あ)る・・と。
 キリスト教は、女性蔑視の宗教です、その様なDNAが、
聖書のあちこちにあり、また、どこらかに潜(ひそ)んで、
子供や女性、そして、人々へ悪影響を与えています。
 今・現代でも、女性の司祭が居ないとか、パウロは、目
を覆(おお)うような女性蔑視の記述をしたとか・・と、
 それらの悪さについて、キリスト教は、目をつぶって、
事実を覆い隠(かく)しているが・・。
 キリスト教は、(特に、女性の)「自己の性の美しさを
見い出す事の出来る人が、輝いている」ということを知ら
ない。
 そして、キリスト教は、「性は神から与えられた」と考
えるため、「男と女以外の存在を認めない」。
 これは、明らかに、「キリスト教の神の見落とし」で、
また、「失敗」なのです。
 キリスト教の聖書に、「キリスト教の神は『男』を作っ
た」と書き・・、
 そして、キリスト教の『男尊女卑』の性格付けとなっ
た記述、「女性が男の骨から作られた」・・と、劣悪な記
述、非科学的な記述に極まる。
 この劣悪な性差別を、堂々と、教義にしている態度に怒
りが沸く。
 キリスト教聖職者は、何とも思わない人々の様だ、洗脳
され、感化されている。恐ろしいものだ。
 この様に、キリスト教の聖書記述は、また、馬鹿馬鹿し
いレベル記述の為、男と女性以外の存在を、今・現代にお
いても『認めていない』。
 また、この様な、差別を、キリスト教は行っている。
 まったく、現代にマッチしない、『送れた宗教』となっ
ている。
 そして、キリスト教の考え方・教義は・・、
 神が作りし「男」と「女」・・、
 そして、その「結婚」は・・、
 『キリスト教の神によって定められた』としている。
 まったく、『限定的な』、『狭い』見方しかしない、で
きない、キリスト教の考え方・教義となっている。
 結婚以外の存在を認めていない。
 結婚以外で存在している方々を・・、
 『キリスト教の神の定めし事をなさない人々』と見てい
る。
 キリスト教は、結婚を最終目標とする宗教。
 だから、その考えの延長線上には・・、
 キリスト教の聖書には・・、
 兄が亡くなったら、その弟が、兄の妻の未亡人と結婚す
る事が記述されている。『その様にせよ』・・と。
 しかし、この様な倫理観の存在の必要性はアウト。
 現代での、この教義の適用は、『笑って否定される』。
 今・現代でも、キリスト教聖書には、堂々と、この様な
事が書かれている。
 聖書を読むことの・・何と時間の無駄なことか・・とな
る。
 この様な倫理観のキリスト教なのである。読む必要は、
 まったくない。
 キリスト教の教義は、これを理想なのだとしている。
 しかし、さすがに、この様な事を、今・現代、『その様
にせよ』とは、さすがにキリスト教も言えずに・・、
 キリスト教は、唯(ただ)黙(だま)っている。黙過(
もっか)である。黙過は罪である。
 『神の意思の無視』である。人間上位になっている。
 キリスト教は、御都合主義で、何ら、『キリスト教の神
を敬ってなんかいない』。
 人に「神を信じよ」「神を信じよ」と、口先で言うが・・、
 適当に存在している。
 また、この様に、古い倫理観の宗教なのです。信じるに
あたいしません。
 何ら現代において、『ためにならない宗教』なのです。
 現代社会に、『悪しかもたらさない宗教』です。
 この様な宗教は、次世代へ伝えて行ってはいけません。
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