人間が・・神になってしまうのです・・、

 題:人間が・・神になってしまうのです・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教聖職者が・・言う・・、
 「キリスト教聖書で言っている様に、キリスト教の神が、
人間を創ったという創造主と・・被造物という人間との・・、
神と人間との間に『上下関係』がある」・・と。
 また、聖職者が・・言う、
 「キリスト教の神は、人間に、『自然を従えよ』と言っ
た。ここに、人間と自然の間に『上下関係』がある」と。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が・・言う、
 「キリスト教は、神・人間・自然を・・、『上下関係』
として捉(とら)えています」・・と。
 そして、「『創られたもの』としての人間は、決して、
『創ったもの』になることは出来ないのです」・・と。
 ここで、はっきりしたいのが・・「自然」である。
 このキリスト教の神の言う『自然』は・・、「地球の自
然を言っているからである」。
 当然、地球外のものも自然なのだが・・、
 地球以外のものも・・自然だとして捉えると、キリスト
教によくある「矛盾」が生じるのである。
 つまり、『宇宙すべての自然を従える人間』となってし
まう。
 宇宙すべての自然を従える人間となると・・、
 「人間が・・神になってしまう」。
 キリスト教の神は、『人間は神になれない』と言ってい
る。
 ここに・・矛盾が「発生している」。
 キリスト教は、「キリスト教の神が、宇宙を創造した」
と言うが・・、しかし、しかし、なのである。
 そのキリスト教の教義は、地球の中で成り立つ思考の教
義となっている。
 その自然が・・、人間が従えるその自然が・・、
 宇宙のすべてを含んだ自然だと考えると・・、
 その自然たる宇宙を従えた人間は、キリスト教の神と
『同一の神』となってしまう。
 この様な矛盾は、キリスト教には一杯あるが・・、これ
は、『基本中の基本』の大問題である。
 キリスト教の神が言っている事は、この様な事になって
いるのである。
 現代の科学は言う、「太陽は、膨張しています」・・と。
 その時まで、人類は存続できないのだが・・、例え・・、
キリスト教が言うように、人類が・・存続できたとしても
・・、
 人間は・・地球もろとも太陽に飲み込まれ・・吸い込ま
れ・・、
 人間が、『宇宙全体の自然を、従えるような事など、到
底(とうてい)、出来ない』のである。
 明らかに、キリスト教の教義・考え方は、『間違ってい
る』のである。間違った考え方で、正しい判断なんて、で
きないのである。そうだと不幸が訪れてしまいます。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
 「人間は、徹底的に、人間でしかあり得ないのである」
・・と。
 「だから、そこに、キリスト教は、人間の平等を説いて
いる」・・と。
 この言い方は、拡大解釈、極まりない言い方である。
 キリスト教は、序列、極まりない宗教である。
 神の下に・・聖職者を置き、頂点にいる神の意志を、そ
の下の聖職者が聞き、その聖職者の下にいるキリスト教
信徒へ、上意下達するのだというキリスト教の考え方・教
義、キリスト教ヒエラルキーの序列の世界・・、
 その聖職者だって・・身分、階級が・・細かく上下関係
がなされていて・・、中には足の引っ張り合いをしていて、
エルサレムでは聖職者が乱闘している。
 また、天使だって「大天使だ」、何々天使だと序列だら
け。
 キリスト教は、何処にも、平等や平等観なんて無い宗教。
 序列の宗教、階級の宗教なのだ。有色人種は、劣等だと
年がら年中、言っていた宗教。
 話を捻じ曲げ、作り出して嘘を言う聖職者たち。
 そんな姿の中で・・宗教が成り立っている。
 そしてまた、キリスト教の聖職者が、言う・・、
 「神に支配されているという意識を持つと、人間が、人
間を支配しようという考え・意識はなくなる」・・と。
 これは自分に都合のよい話へ、合理性なく、論理性なく、
引き込んでいる。
 これはまた、キリスト教聖職者の序列の一つを見たって
・・おかしいと思う。
 キリスト教の神を説くキリスト教の聖職者の世界が、何
故、あの様な序列・ヒエラルキーの世界になって居るのか?
 また、神の使いの天使の世界も・・序列だらけだが、こ
んな事は言えたもんではない。
 キリスト教の神は、隣国の富を奪いに攻め込ませて・・、
 「奴隷にせよ」「奴隷にせよ」と叫ぶ、
 キリスト教の神が率先して、人間を、人間以下にする「
奴隷にしろ」と言っているではないか? 差別しているで
はないか?
 キリスト教の神が、率先して、人間を人間以下にする卑
劣な事をしているではないか? 差別観を植え付けている
ではないか?
 キリスト教は言う、「神の人間支配は良いが、人間が人
間を支配すると、危険をまき起こし不幸になる」・・と。
 そして、キリスト教は、この事例として「ヒットラー
ムッソリーニや日本の戦時体制」を言う。
 これは、第二次大戦の不幸な時代をわざわざ持ち出して、
キリスト教の神を美化しているに過ぎない。
 この様な不幸な人間関係の時もあったろうが・・、キリ
スト教の例にした事例が悪いだけ、不幸な人間関係は一杯
ある。ドイツのヒットラーは、キリスト教に被(かぶ)れ
て、ユダヤの方々に大変酷(むご)いことをした。
 キリスト教の論理展開は、何か素直ではない。
 ひねくれた論理展開だ。
 ただ、キリスト教の神を、美化したい論理へ持ち込みた
いだけだとしか見えない。
 お母さんが、愛情溢れた目で見て、子供を導く姿は、微
笑(ほほえ)ましい姿に見えます。
 導く、そして、導かれるという関係です。
 時には、厳しく言う時もあるでしょう。
 キリスト教の仕方はこれでない、そして、見方は、短絡
的で狭いです。
 キリスト教は、どうしても、論理が正しく正常に組み立
てられない宗教。どうしようもない宗教。
 そして、直しようもない宗教です、関(かか)わってて、
このどうしようもないところに陥(おちい)って、
 解決しない・・どうしようもない・・この事に、あなた
の大切なものが、失われていくことになります。
 あなた方を救い出したいので、この様な事を書かせて戴
きました。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009