聖職者が・・ですよ・・??

 題:聖職者が・・ですよ・・??
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の聖書のイエスの弟子たちは・・、
マッタクしょうがない人たちだと、表面的には思う。
 が・・しかし・・、
 その弟子たちについて、キリスト教は言う・・、
 「イエスの十字架の後の復活を見て、初めて弟子たちは、
分かる様になった」・・と。
 「復活の光に照らされる様になった」・・と。
 「復活の光に照らされた時、初めてイエスの言う神の国
が分かる様になった」・・と。
 そして、キリスト教は、さらに、「つまり」という言葉
でつないで説明する・・、
 「つまり、神の国の中に自分を決定的に見い出す様に、
(イエスに)された」から・・と、
 この説明でお分かりになりましたか?
 キリスト教は、何時も、この様な、中途半端な言い方を
します。
 イエスが、神の国が分かるようにしたと言う・・、
 行為者が分かるが、実際、分からせねばならない神の国
は・・一言も説明しない。
 そして、「だから、イエスの弟子たちが分かる様になっ
たのです」の説明に・・なってない。
 「神の国の中に、自分を見い出す事が、出来ている弟子
たちに出来るようになった」・・とは?
 これも、結果だけを言っているだけで・・、肝心な、ど
うして出来るようになって、その結果、どの様だったなど、
肝心な説明は・・何もしていない。
 「出来るようになりました」・・で、終わっている。
 何時も、キリスト教は『この手の言い方』で、分かる気
になった様にしている。
 錯覚のマインド・コントロールをしている。
 それなのに・・、
 このイエスの復活が分からなかった人は、「神の国」に
入れないと・・、この言葉だけは、明確に、はっきりと説
明する。怖(こわ)い、罰がありますと言う。
 イエスの復活は、神の国への招待ですと言うが・・、分
からない人は、その御招待も駄目となっている・・と。
 そして、キリスト教は、「ウルトラ演技」の様な『言い
訳』を言う・・、
 「復活が、明確に証明できないからこそ・・『信じると
か?」とか、『信じないとか?』とかの・・信仰が、生ま
れるのだ」・・と。
 これは詭弁(きべん)だ。
 「復活があったと、はっきり説明できれば、信じる信じ
ないの話も生まれない」・・と、
 キリスト教は、この様な『観念の遊び』を信仰と称して、
貴重な時間を空費している。まったく時間の無駄だ。
 逆でしょう?・・イエスの復活が、はっきりと説明され
れば皆様が信仰するでしょう。
 当時の状況でさえ、既に、イエスの弟子たちが、復活話
をでっち上げると、公的機関に知られていて・・その対策
が講じられているではないですか・・この復活話は、この
様な、古代の当時でさえ、『眉唾話を見透かされた社会情
勢』だったでしょう。
 イエスが亡くなった頃の状況は、復活があったと騒いだ
のも、当時の公(おおやけ)の機関が、既に、見透かして
いた通りの、『イエスの仲間の人たちだけ』でしょう。
 何ら、エルサレムの街が、こうなったとか、ああなった
とかの話は皆無、何も無いのです。
 ほんのイエスの周囲だけの、一部の話に、終始している
だけではないですか?
 イギリスのキリスト教聖職者の方たちでさえ、報道機関
の調査に、聖職者の過半数の、多くの、多数の聖職者の方
々が・・、
「イエスの復活は信じない」「信じることができない」と
答えています。聖職者が・・ですよ・・?
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