生まれ変わることが・・できませんでした・・人には常住不変の実体があるとする誤った考え

 題:生まれ変わることが・・できませんでした・・人には常住不変の実体があるとする誤った考え・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教が発生する頃・・は・・、
 過酷な種々の状況から・・、
 その民族は・・民族の生き残りだけを・・希求した、
 それ故、自民族に執着(しゅうちゃく)する考え・希望
の中に居た。
 この点から・・脱却・意識転換をすべきだったのは言う
までもない・・が・・、その頃は無理な状況だった・・
 だから、キリスト教発生時は、ともかく・・、
 しかし、ヨーロッパへ伝搬して行った後には・・、
 今までのキリスト教の性格を・・脱ぎ捨てているべきだ
った。
 本当に、世界宗教を目指すのなら・・、実際はその様な
事は無かったのだが・・、
 この伝搬に寄与した、そして、主な貢献者のパウロには
・・まず、
 その様な余裕は無かった・・そしてまた、その様な
 広い考え自体がなかった。
 逆に・・かたくな・・だった、
 伝搬したいという意識に・・執着した、
 だから、逆に、脱ぎ捨てるどころか、表面上は、地場の
色々な宗教を・・節操なく取り入れ・習合した・・が・・
 宗教的理念なんて何処へやらという状況だった。
 今でも、地方地方でキリスト教は違う・・それは、今・
現代でもキリスト教に残っている事である。
 ローマ教皇が、銃弾に撃たれ、危うく命が助かった時に
言った言葉・・、
 「黒マリア様の御蔭で、弾丸(たま)がそれてくれた・・
」・・である。地場の宗教の産物である。
 黒マリア様なんて、今までのキリスト教なんかにはない。
 その癖、キリスト教は・・権威だけはを欲しがった。
 権威を得ることに執着した。
 卑劣なのは、キリスト教に「神を畏れよ」という教義が
あるが・・、
 キリスト教は、権威を得るために、権威を得たいために
人を殺すことまでして、人々を畏れさせた。
 それで、キリスト教の権威が得られると、得られたと・・
 誤解した。
 この様な行為から離れ、キリスト教のみに、また、キリ
スト教の神のみの方に専念して行動をすべきだった。
 俗の権威を欲しがった・・、
 この執着や我執(がしゅう)を離れてこそ、対立や抗争
の原因から離れる事が出来るのに・・、
 キリスト教には、この点が・・悟れませんでした。
 キリスト教は、自分の神、自分の権威、自分の利に執着
し・・、目を覆う様な悲惨な行動を・・多発させました。
 自分たちだけ、自民族だけに、執着せざるを得なかった
パレスチナの地で、その地で出来たDNAから、生まれ変
わることができませんでした。
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 (参考)が‐しゅう【我執】 1 自分中心の考えにとらわ
   れて、それから離れられないこと。我を通すこと。
   また、その気持ち。「―にとらわれる」 2 仏語。
   人には常住不変の実体があるとする誤った考え。我
   見。
.
 そして、次の話。
 キリスト教は言う・・、
 「イエスが、人々に見させようとしたのは神の国の到来。
そこでは、すべての人が、人種・性別・国籍・文化・伝統
の差を越えて、神の支配の内に自分自身を見い出し、自分
の様に隣人を愛する事が出来る様になるために、語りかけ、
働きかけ、示し続けたのです」・・と。
 この様な事は、聖書に書いてありません。
 完全に、キリスト教聖職者が脚色しています。
 キリスト教聖職者の方が、キリスト教以外から教えられ、
自分の心の中で形成され、できた宗教観で・・語っていま
す。キリスト教の材料は使っていますが・・出来ているも
のはキリスト教ではありません。
 逆に、キリスト教色が薄まっているので、キリスト教
卑劣さが無くなって・・卑劣な面が薄くなっていると言え
ますが・・
 隣人愛の語り掛けにしても・・、
 知識的に、倫理的に、キリスト教ができた時より格段に、
高度に進んだ、高いレベルの現代人になっているからこそ、
 そして、現代人だからこそ、美しく聞こえ・・、そして
・・、
 その聞く方たちが聞く時に、その様な高度なレベルで、
自分の力でかたち作れるからなのです。
 しかし、キリスト教の『本質』は違います。
 標記では、キリスト教ではないキリスト教が語られてい
ます、しかし、長い間で・・知らず知らずに・・他を滅す
る、殺戮的なキリスト教に洗脳されて行くから・・注意が
必要です。本質的にしている事は、標記の記載の逆です。
 キリスト教学者が言う・・、
 「イエスの弟子たちですら、イエスの伝えようとする神
の国を悟って居なかった」・・と。
 長く、常に、イエスと共に居て、イエス神の国を悟れ
ないという事は・・?、
 イエスの説明不足か・・、
 イエス神の国の概念が、しっかり出来ていなかったと
いうことか・・、
 イエスの弟子たちの・・能力不足か・・などだ・・、
 イエスが、エルサレムに実力行使に行って・・、
 エルサレム神殿で大暴れし・・、
 対決色が、より鮮明に、明確になり・・、
 イエスが、『一緒に祈って欲しい』と、弟子たちに頼ん
だのに・・、
 イエスが、結局、一人で祈る事になり・・、
 そして、祈って戻って来てみると・・、
 弟子たちは眠っていた・・という。
 これは・・、
 ただ、『馬鹿な弟子たち』で済ませて良いのか・・?
 そこには、イエスと弟子たちの・・『相容れないもの』
が・・あったとしか言えない。
 この様な事は・・普通ではあり得ない・・からだ・・、
 常識で考えてみて下さい。
 これは、明らかに・・『意見の相違』が・・、
 イエスと弟子たちの間にあり・・、
 弟子たちが・・ふてくされて寝ていた・・としか考えら
れない。
 キリスト教は、美しく、美しく、隠して言うが・・
 そして、キリスト教は、イエスには間違いが無いという
見方をするが・・、
 イエスにも・・何らかの落ち度があった・・としか考え
られない不祥事だ。
 これから、大事なことをやろうというこの時に・・、
 最後の時に・・、
 だから、イエスの刑場に、弟子が一人も来なかったのだ
・・、
 (詳しくは、以下のブログへ)
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http://yumesyakai.blogspot.jp/