その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く

 題:その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教 ヨハネ伝に・・、
 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて
在るらん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・
とある。
 ・・・が、・・しかし、
 これを読んで思うことは・・、
 「キリスト教が、パレスチナの地に、イスラエルの地に
落ちて、西欧の地に伝え広まらずにおれば・・
 唯(ただ)一つの地の民も、殺されずに・・、滅するこ
ともなく、幸せな時を持てたのに・・と、思う。
 数々の無念の死もなかったのに・・と・・、
 しかし、広まりて・・、亡くなりし民、極めて多く、
 泣く母、また、極めて多し・・、
 そして、キリスト教、その母の命をも、また奪いし」。
 「誓うべし・・、亡き多くの民に誓うべし・・、
 その誓うべきこととは・・、
 キリスト教を次の世代に、伝え行くことを『断つること』
・・を、誓うべし・・、
 そして、亡くなりし多くの民のことを思い・・祈れ、そ
して、涙せよ」
 「そして、また思う・・、
 その民の一人でもが・・、
 その無念の死に・・キリスト教によって至らされたその
死に、その民の一人でもが・・、
 その民の一粒でも、無念の死から逃れ、死なずば・・、
 唯(ただ)一つにて在らん・・、
 もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・と。
 そして、この様な再生が・・ある様に・・、
 キリスト教も言いし『この様な再生』がある様に・・、
 もの事は、すべて次なるものへ、再生され行くもの、こ
れが理(ことわり)なり。
 『初め』と思いしことも・・、
 『始め』と思われし時も・・、その理(ことわり)から
再生され、そして、出(いだ)されしもの・・、
 故に、再生されしものの『前が在りし』が理(ことわり)。
 その『始まり』は・・極めて遠くの以前に辿(たど)り
行きて・・、
 そして、無始となり・・、
 また、尊(とうと)い再生も・・、
 『終わり無く続きて』・・
 無終となれり・・、
 無始無終となれり・・。
 これが、真。
 佛教の理(ことわり)なり。
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