『あり得ません』と言っている事と・・同義です・・、

 題:『あり得ません』と言っている事と・・同義です・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のモーゼの実在・・、
 キリスト教徒の方々は、実在を信じたいのでしょうが・・
 生憎(あいにく)、歴史家は・・
 実在した人ではない・・と、はっきりと言います。
 架空の話の連続で出来ている聖書の一端です。
 キリスト教聖書の『出エジプト記』を、冷静に読んでい
ただきたい。可笑(おか)しいところが、あちこちに発見
されるでしょう、気付かれるでしょう。
 『ただの読み物なら』・・それでいいのです・・が・・、
 信仰対象として、その様な記述に洗脳されて、行動に起
こされてくると・・問題が発生して来ます。社会に良い面
だけならよいのですが、悪い面も出て来ます。
 残念ながら、あなたもお気づきでしょうが、キリスト教
は、その悪い面が『非常に多い状況』です。それも種々の
面で悪い面が多い状況です。
 看過できない状況です・・。
 それなのに、何ら対策が取られていないという状況です。
 虚飾で飾られ、その状況から判断され、洗脳され、マイ
ンド・コントロールされ・・、
 今・現代でもその悪行為が行われているからです。
 以下に記す事も、それにお気づき戴きたいから、記述さ
せて戴いているのです。よくお読みいただきたいと思いま
す。
 「エジプト脱出」をした・・と、
 モーゼが導いたのだ・・と・・キリスト教は言いますが、
 言いたいのでしょうが・・事実ではありません。
 また、イスラエルの民は・・、
 飢餓になった時に・・、隣国に、生きる糧(かて)を求
めて奪い取りに行きました・・武力で攻め込んでも行きま
した・・『それを良しとする』キリスト教の教義ですから
当然です。卑劣な事です。
 そして、エジプトへも流入し・・生きる糧を求めました
 ・・が・・、
 肥沃な大河を抱(かか)えるエジプトは、幸い豊かです。
 その流れの、豊かな水の量が、豊かな実りを生み、パレ
スチナの地との差異を生んでいる事実が、まず、ここにあ
ります。
 また、『豊かな実り』は、すべてに豊かさを与え・・、
 豊かな文化を生み・・文明を生み・・、
 その生んだエジプトは・・大きかった・・、余裕から来
るのでしょう・・
 歴史にも大きく刻まれている、その素晴らしい文明を生
んだエジプトは・・、その心も・・おおらかな豊かな心を
持っていた。
 キリスト教は、ひたすら、キリスト教を美しく見せよう
と、また、「エジプト脱出」を美しく見せようと・・見せ
たいと・・、
 エジプトを、ひたすら・・ひたすら・・悪役にしたいと
・・、そう思っているのでしょうが・・、そして、そうし
たいのでしょうが・・、それは、キリスト教のよくやる『
プロパガンダ(嘘宣伝)』です。
 豊かな実りを、豊かな心を、豊かな文明を持って来るナ
イルの流れの国は・・、豊かな文明を生む力もあり、民も、
その豊かな実りを享受し、それらが文明を生んだとも言え
ますが、そして、余裕ある豊かさが生んでいた。
 この、あらゆる実りの豊かさが・・エジプト文化・文明
の根底を・・支えていた。それ故にこそ・・その沃野に働
く民は、施政者にとっても・・『大切な民』だった。
 この民を大切にしてこそ、エジプトの文明は出来あがっ
ていた。奴隷なんかではありません。
 キリスト教が、ひたすら汚(きたな)く表現するのは、
本当に『唾棄すべき嘘』なのです。
 あの、イスラム文明も、キリスト教は汚く罵(ののし)
りました。アラビア文明を・・。
 医学を、イスラム社会に学び、大きな恩恵を受けている
のに、後ろ足で砂をかける様な事をするキリスト教社会で
した。
 モーゼが脱出させたという『キリスト教の地の民』が・・、
 『こんなことなら脱出しなければ良かった』・・と、
 『エジプトに居れば良かった』・・と、後悔の弁を言う
ところが、あなたの信じる聖書に記されておりますが・・、
 これが真実です。
 この様な地のエジプトに、キリスト教の生まれる地に居
た民は、砂漠の民は、生きる糧をもとめて・・このエジプ
トの実りに生きる糧を求めて、エジプトへ流入しました。
 エジプトも、この流入を・・『おおらか』に認めていた。
 この様に・・パレスチナキリスト教の生まれる地の民
は、常に、食糧事情の関係から、エジプトに流入し、また、
流出していた。
 キリスト教の聖書に書かれている、「兄に人買いに売ら
れた弟」も、その様な状況から、簡単に、また、容易に、
エジプトに入りました。
 そして、なんと、出世までするというエジプトは、おお
らかな、差別のない社会でした。
 その後、その家族までがエジプトへ、弟の所へ行くとい
うことも聖書に記されています。
 何ら異変もなく、平穏に事は進んでいます。
 差別があったとしても、そう厳しい社会ではなかったの
です。キリスト教の言うような差別状況ではありませんで
した。
 そして、一般人は、入るからにはエジプト人と同じ条件
になる訳では無く、下働きをするという状況でした。そう
悪くない状況だから、エジプトに戻りたいという声もあっ
たのでしょう。
 何ら、キリスト教が、汚く、ひたすら言う奴隷というも
のではありませんでした。
 逆に、汚ない事と言えば、キリスト教のその様な嘘を言
う心根こそ、本当に汚ない限りです。
 その様な状況から、出入り自由で、その自由さもあり、
豊かさもあり、パレスチナキリスト教の民は、エジプト
に入れました・・、
 キリスト教の「エジプト脱出」は、キリスト教をよく見
せたい、美しく見せたい、そして、キリスト教を良くした
いという意味での嘘・デッチアゲです。
 『モーゼも、実在の人ではない』と歴史家は言うし・・、
 そして、キリスト教は言う・・、
 エジプト脱出のイスラエルの民は、なんと60万人だった
と言う。モーゼの功績を美しく言いたいからなのだろう。
 ならば、そのイスラエルの民の60万人の人々の行列を、
エジプトの民は見ていた・・という事に、なります。
 こんな大勢の人数の人が、密(ひそ)かに出られる訳が
ない。長い長い・・行列となっただろう・・、
 しかし、キリスト教聖書は、かっこ良く書く・・、
 エジプト軍の追跡があり、それから逃れて・・とまで、
嘘を書いた。
 こんな事が、出来るわけがない、ある訳がない。
 民族の大集団が、家畜や財産をすべて携帯して・・、
 モーゼの十戒の映画を見れば分かる様に、牛、羊、山羊、
鶏の群れを追って・・、
 ラクダや車に家財道具を乗せて・・、ガラガラ引いて・・
 この大集団を・・
 エジプトの民も見ているこの大集団を・・、
 キリスト教聖書よ、嘘を言わないでください、あり得ま
せん。不聖なる書よ・・
 そして、現在、この進んだ科学の今でも、この時に渡っ
た海が、特定できないという。
 この進んだ現代科学が立証できないという。
 今・現代、色々な、多くのことを明らかにしてきた現代
科学でも、研究者でも、不明なのだ・・という・・
 という事は・・?、
 この「渡海があり得ません」・・と、言っていることと
同義なのだ。モーゼのエジプト脱出はありません・・、
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /