空なのだ・・・。

 題:空なのだ・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 古代の世に・・、
 ある1つの民族(イスラエルの民)が生き残るために、
 できた宗教が・・、
 何の拍子からか・・、
 伝道が始まって世界へ広がった。
 しかし、
 その生まれの血は争えない。
 脈々とその中に巣くっていて残った狭い宗教概念が、
 その所から、人類の悲劇が、多く生まれた。
 多くの世界の人々が、無念の死を遂げた。
 その宗教性のあまりにも卑屈さ劣悪さに、
 人類のためには、
 この宗教は、今後、残ってはならないが、
 図らずも、
 そのことを記した言葉が、このキリスト教の聖書の中に
ある。一抹の光となっている。自虐である。
 そして、この書が、あまりにも過激なため、
 その書を省いて、キリスト教の聖書だとしている聖書も
あるが、
 その文書「伝道の書」の、一部を以下に記す。
(「伝道の書」1・2)に、
 「空の空、空の空、いっさいは空である」とある。
 いっさいのものは空である、確かなものは1つもない、と
いうことを言っている。
 学問とか、芸術とか、あるいは、この宗教でさえも実際
は空であると言っている。
 そして、(「伝道の書」2・11)に、
 「そこで、わたしは、わが手のなすすべての事、および
それをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であ
って、風を捕えるようなものであった。日の下には益とな
るものはないのである」と。
 この宗教を信じたのだが、なしたすべての事、なすに要
した労苦、皆、空であって、
 益になったこと、黒字になったものは何もない。
 赤字ばかりだ。
 世の中は悲惨的である。
 そして、(「伝道の書」3・20〜21)に、
 「みな1つ所に行く。皆ちりから出て、ちりちりに帰る。
だれが知るか。人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊はくだ
るかを」と。
 キリスト教の聖書の創世記に、キリスト教の神は、人間
をチリから造ったというが、その神が造った人間だから、
死ねば天に上るとは限らないのだ。
 人間であっても、獣であっても、死ねば同じだ。
 同じく地にくだるのだ。
 そして、もとのちりに帰ってしまうという点において同
様なのだ。
 そんなところに、人間と動物の区別なんかあるのではな
い。
 人間が、人間として自分で自分の価値を見い出している
と思っているかもしれないが、しかし、それはただ空想に
しか過ぎないということだ。
 キリスト教の神を信じることもまた空想なのだ。空なの
だ。宗教それ自体が空なのだ。一切は空なのだ。
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