薄氷を踏む様な理屈で出来あがっている宗教=キリスト教

 題:薄氷を踏む様な理屈で出来あがっている宗教=キリスト教
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の聖地は、エルサレムである。
 この事は、動がし難い事実なのだ。
 そしてまた、キリスト教は、このエルサレムの地の宗教
なのである。
 このエルサレムで、キリスト教は歴史を刻んで来た。
 この砂漠の地・エルサレムの宗教なのである。
 『何で、ここまで言わなければならないか』という話が
ある。
 この砂漠の地の宗教だと言われることを嫌う、キリスト
教徒の富岡幸一郎関東学院大学教授が、無理な話の展開
をする。
 砂漠の地の、奪い取りの地の宗教だということを嫌って
いる。
 氏の様な、知的なポジションにいる人が、屁理屈を言い
出していることは、大いに反省をして戴きたいところだ。
 キリスト教には、この事例の様な、「嘘に近い話」から
「まるっきり嘘」という話が、本当にたくさん、多く存在
する。
 富岡教授は・・
 「イエスは、ガリラヤの生まれで、ガリラヤは、緑豊か
な地で、この様なキリスト教もあり・・」と話をはぐらか
す。
 誠実な話の言い方を展開していない。
 だからって、はっきり事を、最後まで説明していない、
中途半端に、うやむやに、話をはぐらかす・・、
 つまり、砂漠の地の様な宗教を嫌い、砂漠の地のエルサ
レムのキリスト教を、富岡氏は否定している。
 これとはまた別に、イエスには、聖書から来る「救世主
が生まれる地のベツレヘム」で生まれなければならないと
いう縛り(しばり)があり・・、
 『イエスは、ベツレヘム生まれだ』という「くだらない
説」もある。
 イエスを、聖書通りの救世主にしたいだけの話である。
 ところが問屋がおろさなかったという話の結末になって
いる。キリスト教学者の努力のたまものだ。これも動がし
難い事実、ガリラヤなのだ。
 富岡教授の話は、また、聖書の記述は、逆に、イエス
救世主ではないと証明するという結果になっている。お粗
末な話だ。
 イエスは、富岡教授の言う通りガリラヤ生まれで良いの
だ。イエスは、救世主が生まれる地のベツレヘムではない。
 富岡教授は・・、
 この事も言ってしまった・・という事に結果なっている。
 キリスト教は、エルサレムであり、エルサレムの宗教で
ある。富岡氏が何と言おうと・・。
 だから、キリスト教は、その地・エルサレムの砂漠の地
の宗教である。
 そのエルサレムを、聖地として・・奪還する話が、キリ
スト教の歴史に大きく関係して来る。
 だから、故に、富岡教授の話は、ただ事を惑(まど)わ
すだけの話なのだ。
 事を良く知らない人を、惑わし、誤認させるだけの話な
のだ。
 イスラム教徒から聖地を取り返すという話で持ち上がっ
た十字軍は、エルサレムの奪還(だっかん)の話なのだ。
 だが、しかし、名目通りエルサレムに行った十字軍は、
二桁の数ほど行われ、組織された十字軍の内、1回しかな
いというテイタラクだった。
 なんと、誠実にエルサレムを目指したのは、第一回の十
字軍だけだった。
 あとは、エルサレムを目指すという名目で、実際、彼ら
が、十字軍が、やる事は、沿道の人々の富の略奪だった。
 十字軍は、強盗団の『烏合の衆(うごうのしゅう)』だ
った。
 信仰心より、物取り(ものとり)が・・目的だった。
 そもそもが、人集めが、信仰心より、財産の無い二・三
男の不満対策にあった。
 そのため、当然の、成り行きだった。
 キリスト教は、この様な、体たらくな十字軍を「美しく
プロパガンダ(嘘宣伝)」した。
 聖なる軍なのだと・・、
 そんなことは、程遠い状況だった。
 最近、ローマ法王は、この十字軍の悪行について『謝罪
のミサ』をした。
 エルサレムの巡礼が難しくなったために・・、
 イエスの弟・ヤコブの骨だとして発見された骨を・・、
 スペインへ運び、墓を作り・・、
 その墓の上に、聖堂を、いつもの如く・・キリスト教
建てた。
 これが、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ
である。
 そして、ローマ法王が・・、
 ここへの巡礼は、エルサレムの巡礼をしたのと同じ「あ
りがたさ」が、「御利益」があるとした。
 御利益宗教=キリスト教の面目躍如である。
 この後、スべインの地への巡礼が行われる様になった。
 教会も、あちこちに建てられた。
 エルサレム巡礼の代わりとしてスタートし、ローマ法王
エルサレムと同じ「ありがたさ・御利益がある」との御
託宣(ごたくせん)が・・功を奏(そう)した。
 イエスの弟・ヤコブが、イエスと同等の「ありがたさ・
御利益がある」という話となった。イエスと同じにしてい
いのか??
 また、キリスト教に偏するNHKが、仏教の墓を憎み、
キリスト教徒の日野原重明氏が提唱している森林葬を、キ
リスト教に偏するNHKは支援した。
 その支援する意味から、仏教の墓を攻撃した。
 そしてまた、蔑視放送を盛んにした。
 また、「千の風になって」の歌を盛んに放送した。
 「お墓の前で泣かないでください、私はいません」と、
 NHKは、あらゆる方法で、仏教攻撃を、盛んにした。
 プロパガンダした。
 しかし、このスペインの、ヤコブだという骨を見つけて、
埋葬して、墓を作ったこの話には、NHKは何ら同様な放
送はしていない。
 「ヤコブは居ません」・・と、
 NHKに、放送しなさいと言いたい。キリスト教に偏す
るNHKよ! この事を放送せよ!・・と。
 そして、このヤコブの『骨をありがたがる』、この様な
キリスト教会は、ヨーロッパのあちこちにある。
 『マリアの乳だ』というのまである。イエスが飲んだ乳
である。「聖遺物」だと称している。
 キリスト教に、馬鹿さ加減もいい加減にしてくれと言い
たい。
 それこそ、この様な事を、NHKは放送せよ、マリアの
乳を・・。
 この様に、キリスト教に偏し、巧妙なる伝道放送行為を
しているNHKよ! 大いに反省せよ! 
 NHKのこの様な事例は実に多い。
 そしてまた、キリスト教は、次世代に伝えてはいけない
宗教です。また、信仰する方々は早く離れて下さい。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /