NHKの、日曜大河ドラマは、結局、キリスト教の「巧妙なる伝道放送」です。

題:NHKの、日曜大河ドラマは、結局、キリスト教
「巧妙なる伝道放送」です。
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 19世紀、宗教学という新しい学問分野も開けました。
 その結果、新しい知見・知識・発見も盛んに得られまし
た。
 そして、20世紀になると、それらの新しい知見の元から
発生するキリスト教の色々な問題が出て来ました。
 そしてまた、その知見から考察された『色々な学説』が
続々と生まれました。
 今、キリスト教に偏するNHKが、日曜大河ドラマ「八
重の桜」で、美しく新島襄について放送していますが、
 この新島襄が知らなかった知見が、種々色々とあったと
いう事なのです。その様な知見が大いに得られたというこ
となのです。
 キリスト教を、学究的に、また、学問として世界の他宗
教との比較研究も盛んとなり、また、考古学上の発見も相
次いだりして・・・、
 そしてまた、言語学的に、そしてまた、考古学的に、比
較神話的に、そしてまた、比較宗教学的方法がとられまし
た。
 それらは、『それまでの方法』に拘束されない、まった
く新しい研究がなされたのでした。
 当然、旧来の解釈との間とで『激しい論争』がなされま
した。
 NHKは、明治の曙光・・あけぼのの頃の新島襄を、
何もキリスト教のことを知らない新島襄を、美しく放送し
ていますが、
 そして、現代の頭のNHKが、美しく脚色して、
 そしてまた、美しく整えて、放送していますが、
 ある意味、『間違った情報』を視聴者の方々・皆様に、
国民の皆様に、放送している事となります。
 新島襄は、何も新しい情報を知らないキリスト教徒とい
う事で、NHKは、これを隠して放送行為をしました。
 例えば、キリスト教の基本中の基本の「神の国」思想は、
まったく変わった見解となったのです。 
 時代考証などや、その他、裏付け的な事をしっかり調査
し、調べて放送しているのでしょうか?
 ただただ、面白おかしく、また、キリスト教に偏するN
HKが、結果、『キリスト教の巧妙なる伝道放送行為』と
なる放送をしたという事なのです。
 「神の国」というキリスト教の思想・教義は、「発展的
な道徳的な秩序のもとの国」と理想的にキリスト教は言っ
ていっていますが、これは違うのです。 
 実際はその様な事を指すのではありません。
 その様な美しいことを指すのではないという事が分かっ
たのです。
 それは、当然、新島襄が知らないことです。
 新島襄は、『古い知識』の中に居る人なのです。
 当然、キリスト教に偏するNHKは、この様な事は放送
しません。
 何だかんだと、美しく、「巧妙なるキリスト教の伝道行
為の放送をしてしまえばよいの態度」なのです。
 「神の国思想」は、何ら進んだ発展的な道徳的秩序を指
すのではなく、ただ単に「超越的な神」を信じる所から生
まれただけの話だったのです。
 また、ただ単に、「奇跡的な神の意志的働きを信じる所
から生まれただけ」だったのです。
 何も、後からプロパガンダされたものではかったのです。
 突発的な神の意志を憧れ、そして、信じただけだったと
いう事です。
 後から美しく作られた「進んだ道徳的秩序の思想」は、
皆無だったのです。
 この基本中の基本の「神の国思想」が崩れますと、
 この思想・教義と関連している「人の子」や「メシヤ(
救世主)」の解釈も大変更をして説かねばならないという
事になったのです。
 また、今では常識となっている「キリスト教の創設者は、
エスではなくてパウロだ」という事も、このNHKの新
島襄は知らなかったのです。
 その様な事にもNHKは『ホッカムリ』したまま、
 ただただ、美しく、キリスト教の伝道的放送をしていた
のです。
 パウロが、イエスの言葉や行動の実質的な面を無視した
という事にも、NHKは「ホッカムリ」したのです。
 この様な大問題が、新島襄以後に、キリスト教には起き
ているのです。
 イエスが、語ったと言われる言葉だって、イエスの言葉
 なんて、ほとんどと言ってもよいくらい『無』、無いの
です。
 そのほとんどが、原始キリスト教会の信者達の言葉だと
判明したのです。初代教会の「宣教(ケリュグマ)」なの
です。
 ホッカムリや嘘や思い込ませのNHKの「巧妙なる伝送
放送」なのです。
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