つじつま合わせの話の一つ・・・

題:つじつま合わせの話の一つ・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 紀元前7世紀頃に、エレミヤという預言者がいた。
 キリスト教旧約聖書に「エレミヤ書」というのがある。
 この預言者・エレミヤが、神(主)が言っているという
預言をした。
 それは・・・、
 モーゼの契約は、イスラエルの民が、その契約を破った
ため駄目になったと言う。
 そして、神は、新しく契約を結ぶと言っているのだと言
う。
 そして、その契約は、
 モーゼの時は、シナイ山で神と契約し、
 石の板にその契約文(律法)を刻んで、モーゼは持って、
民の前に来たが・・、
 この度の契約は、神が結ぶと言っている「新しい契約」
は、イスラエルの民の胸に刻み、心に残す形をとるという。
 この様に、預言者・エレミヤは、神が言っていると預言
したが、キリスト教は・・、
 これは、「イエスの事を言っているのだ」とこじつけた。
 つまり、キリスト教は、イエスの死の時に、神との新た
な契約がなされたのだ・・と、言っている。
 イエスが「神よ、お見捨てですか」と、神に、半分、自
分の予想と違った状況が進んでいる刑の執行のことに、こ
の神の行為を、口にして言った時に、刑死の時に、新たな
契約がなされたと言っている。
 しかし、無理がある。
 それも、エレミヤのこのところの文と結び付けようとす
るのも、その無理さが、さらに上塗りされる様な状況と、
さらになっている。
 またさらに、時代もまったく違うのである。
 日本で言えば、鎌倉時代のことが、今・現在に起きてい
る様な、まったく時代錯誤のことなのである。
 エレミヤのことは、700年以上も前に起きたこと。
 そのことを、キリスト教は無理にくっつけようとしてい
る。
 以下、そのことを記す。
 (「エレミヤ書」31・31〜34)に、
 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契
約を結ぶ日が来る、と主は言われる」とある。
 この文を詳しく見ると、
 「見よ、わたし(主)が(北)イスラエル(王国)の家、
(南)ユダ(王国)の家と新しい契約を結ぶ日が来る、と
主(キリスト教の神)は言われる」・・と。
 そして、
 「この契約は、かつてわたし(主)が、彼ら(北王国と
南王国のイスラエルの民)の先祖の手を取ってエジプトの
地から導き出したときに結んだものではない」・・と。
 これは、シナイ山でモーゼが神と契約したことを言って
いる。モーゼの契約は効力が無くなった・・と。
 そして、
 「わたし(主)が彼ら(イスラエルの民)の主人であっ
たにもかかわらず、彼らはこの契約をやぶった、と主は言
われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家
と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。
 すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの
心にそれを記(しる)す。わたしは彼らの神となり、彼ら
はわたしの民となる」・・と。
 そして、神は言う・・
 そのとき、・・「主を知れ」と言って教えることはない。
彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからで
ある、と主は言われる」・・と。
 つまり、今、その時点で、神は古くなったモーゼの契約
を捨て、民の心に刻む、わざわざ文などの形を残さないが、
イスラエルの民の胸の内に入る契約を結ぶ・・と。
 ここで言っているのは、神、キリスト教の神は、あくま
で、イスラエルの民、北王国と南王国の民と、「新しい契
約を結ぶよ」と言っている。
 エレミヤは、紀元前7世紀末頃に活躍した預言者である。
 しかし、キリスト教は、紀元後30年のイエスの刑死と結
び付けたいのだとしている。
 しかし、時代が近いならまだしも、まったく違う時代の
話なのである。
 例えば、日本に例えれば、鎌倉時代に話されたことが、
今・現代、平成の時代になされているという様な、時代錯
誤の話なのだ。
 それを、キリスト教は、イエスと結び付けたいとしてい
る。まったく我田引水の話だ。
 キリスト教は、この例の様に、その他の面でも、論理的
に、各論理が、まったく勝手に話が進んでいて、故に、話
を合わすこと(つじつま合わせ)に四苦八苦している。
 つまりこの話も、エレミヤが、イエスの事を言ったとい
うようにしたいようだ・・が、まったく違う。
 この話は、エレミヤが預言者として、モーゼの契約の話
はまったく古く旧約として破棄し、新しい契約が今なされ
たのだと、当時のイスラエルの北王国の民と南王国の民に
なされたと言ったのだ。故に、わざわざエレミヤは北王国
と南王国の家と言っている。
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(参考)エレミヤは、旧約聖書の『エレミヤ書』に登場す
る古代ユダヤ預言者。イエレミヤとも表記する。紀元前
7世紀末から紀元前6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活
動した。父はアナトトの祭司ヒルキヤ。アナトトはベニヤ
ミン族の地にあった祭司たちの町であった。このことから
エレミヤの家系は、ダビデ王の死去後に対立後継者アドニ
ヤをたてたことを理由にソロモン王から祭司を罷免させら
れ、アナトトに追放された祭司アビアタルにつながるもの
であると思われる。旧約聖書のうち『エレミヤ書』、『エ
レミヤの哀歌』、『列王記』上下は伝統的にエレミヤの著
作と考えられてきた。現代の研究者には他の文書にもエレ
ミヤの関与を想定するものがいる。『エレミヤ書』は3大
預言書のひとつとされ、旧約時代の預言者のなかでも、重
要視される人物の一人である。
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     (詳しくは、以下のブログへ)
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