戦記ものの類い・・・

 題:戦記ものの類い・・・
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 イスラエルの民は、カナンの地に定着後、
 土着のカナン人と交わった。
 キリスト教の聖書の教える状態とは、ほど遠い状態だっ
た。
 キリスト教は、『異邦人には嫁にやるな』と言うくらい
である。
 『異教徒が増えてしまうじゃないか』と言う教義である。
 カナン人は、当然、異邦人との雑婚が多くなる状態だっ
た。まったく、キリスト教の教えの状態ではない。
 信仰も、異邦人の信仰の「バアル信仰」を持った。
 カナン人の方が、異邦人の宗教となった。
 部族神の「ヤハウェ信仰」のおくびも無かった。
 そしてまた、「アシュタロテ」の神も、カナン人は拝ん
だ。
 アシュタロテは女神で、生殖と繁栄の神であった。
 バアル神と対にされていた。
 昔から野外の「高き所」と呼ばれる聖所に祀(まつ)ら
れ、そして、拝まれていた。
 新生児を「生け贄(いけにえ)」として捧(ささ)げた。
 そしてまた、女の純潔を捧げるという儀式も行なわれ、
 その聖所では、神聖売春が行なわれていた。
 祭りは、後に「過ぎ越し祭」となる祭りを行なっていた。
 カナンの民となったイスラエルの民は、農業の民となっ
た。
 部族神であり戦争の神であったヤハウェの神が、異教の
農業の祭りの中に祀(まつ)られ、祝われる様になった。
 多神教のある一つの神の状態であった。
 また、この聖所にも他の神と共に祀られ、拝まれた。
 この様な、カナンの人々の多神教の宗教状態であった。
 キリスト教の神はこの様に種々変わる神なのである。
 ヨーロッパへ伝搬して行った時も、恥ずかしげもなく、
色々な地の地母神などと習合した。節操など全くないキリ
スト教であった。この様な宗教なのである。
 カナンの人々は、ガリラヤ湖の西方に広がる肥沃なエス
ドラロン平原を奪い合った。
 日本の戦国時代に、各地に守護大名が存立し、奪い合い、
争う姿の様な状況だった。
 また、規模的にも内国の内戦状態だった。
 色々な士師が生まれ、聖書にも登場する(士師記)。
 紀元前13世紀の頃の話である。
 軍神ヤハウェが登場する時代である。
 日本の戦国時代の戦話が種々ある如(ごと)く、キリス
ト教の聖書にも、この類いの同様な話が色々とある。
 例えば、900の古代戦車をもってキション川に沿って
攻め上がって来たカナン軍を、丘の上からはさんで攻め下
り、激しい戦いがあり、ヤハウェ自ら雷鳴と嵐をもって応
援し云々・・と。
 日本の戦国時代にある逸話と同じである。
 結局、敵の王・シセラは、あえない最期をとげたという
話。
 こんな戦記ものの聖書を読んで、貴方がたが、幸せに
なれるはずがない。いくら読んでも娯楽の類いである。
その様な内容です。
 こんな聖書が、宗教が、神のみ旨にと、なんと多くの方
々を殺したのだろうか。
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