NHK、キリスト教に偏する。キリスト教の無益なキャンペーンに共同行動する。

 題:NHK、キリスト教に偏する。キリスト教の無益な
   キャンペーンに共同行動する。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「頑張らない」という運動を、キャンペ
ーンとして行っている。
 キリスト教の教義から、その様な運動が生まれたのだが、
 キリスト教は、『一見して』、優しく感じる「頑張らな
い運動」を、キャンペーン運動として取り組んではいるが、
 本当に、真実に、皆様のためになっているのか? 
 また、社会のためになっているのだろうか? 『否』で
ある。
 キリスト教の教義から発生したという、その根幹に、そ
の基があるとは言えない。無理に作り出したとしか言えな
い。
 運動の主旨は、キリスト教の宗教の『優しさ』をPRす
るところにあるのだが、回り回って、苛酷な結果につなが
って行ってしまうことが多い。
 キリスト教には、『愛の宗教だ』という、大きな根本の
PRポイントがある。
 キリスト教の教義や行為を調べてみると、また、学んで
みると、キリスト教は・・、
『愛の宗教どころではない』ということが分かる・・が、
 宗教イメージの『懸命なるイメージチェンジ』の中に、
この「キリスト教は愛の宗教」というPRポイントがある。
 キリスト教の、この『愛の宗教のPR』と連動して、す
でに記した「頑張るなのキャンペーン運動」が、共に、運
動として発生している。そして、『優しさ』を懸命にPR
する。しかし、この優しさ・・・?、
 優しさを、素直に喜んで良い場合と、
 無邪気には喜んではいられない場合がある。
 教育レベルなどにおいて、優しくするは、その優しくし
てくれた人に、最初は、そして、その優しくしてくれた行
為に、嬉しくは思うが・・、
 結局、将来、自分の不出来を嘆く場合に、多々、遭遇し、
 結局、あの時、優しくしてくれたということに思いが至
る。
 逆に、厳しくしてくれた教師に、その時は、逆恨みもす
るが、その後に感謝をすることが多い。
 優しい教師には、あの時は、一時、感謝の気持ちを持っ
たが、結局、あの優しさが『仇(あだ)』となって戻って
いるのだなと後悔する時が多い。
 キリスト教の、一見、優しく見える優しさには、この様
な、「結局、最後は、相手に悪結果・悪さを与え、残る『
優しさ』であるな」と思う。
 キリスト教に偏するNHKは、この「頑張らない」とい
うキャンペーン運動を、長期間に渡ってNHKの手前の機
構である放送媒体(ラジオなど)を使ってキャンペーン放
送をした。
 出演は、何時もキリスト教徒のM・K氏だった。
 この様に、キリスト教に偏するNHKは、出演者の選出
にも偏している。
 確かに、頑張るより、頑張らない方が楽でいい。
 頑張ることはつらいし・・。
 そして、また、NHKは、テレビ討論会も企画し、放送
した。長時間の討論番組であった。
 この時も、キリスト教系の大学の国際基督教大学の教授
が出演し、討論番組であるのに、「頑張らない」の論旨の
みを言い続けた。それは、まったく教示的であった。これ
のみを言い続けた。
 相手を見ない、自分だけの論旨だけを・・、
 何ら深みもない討論番組となった。討論ではない。
 長時間の討論番組の時間だけが、虚(うつ)ろに無駄に
過ぎて行った。
 この時に出演されていた、時の、文部科学大臣伊吹文明
衆議院議員から、
 世の中で、頑張って、世の中に貢献し・・、
 皆様が幸せになる、そのための成果を上げた人が、正し
く評価されていく社会でなければならないという主旨の・・
 『頑張っている方が、社会から感謝され、報われていく
社会でなければならない』・・と、正論を言われ、
 キリスト教系大学の教授は、それに対して反論できなく
て、討論が止まる、言葉が詰まるというような、まったく
無益な討論番組であった。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/