民から批判の声があがったらおしまい・・。

 題:民から批判の声があがったらおしまい・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教は、非常に矛盾の多い宗教だ。
 それ故、人々に正しい示唆(しさ)を与え得ない宗教、与え
ることのできない宗教とも言える。
 その矛盾に気が付いているのか? 
 皆は目をつぶっているとしか言えない。
 気が付いているが、「黙っているという状態」。
 卑劣な事をしている。
 例えば、(「ルカによる福音書」19・1〜10)に、イエス
差別のない人だったと説く。
 「取税人という、ユダヤ社会で嫌われていた人に家に行った
りしていた」と、キリスト教聖書に記されている。
 取税人とは、重税に喘(あえ)いでいた民から、武力で統治
権をイスラエルから奪ったローマ帝国側に立って、代わって、
民から税金を取り立てた人。
 民は貧困に喘いでいる中で、取税人は、取り上げた金で、金
持ち状態だった。
 それは、取り立てれば、取り立てるほど、民を「絞れば、絞
るほど」、取税人・個人の金も増えるという形になっていた
ためだった。
 同じ民族の民から、取税人は、必死に、時にはアクドイ税の
取り立てをしていた。
 当然、「ローマ帝国という虎の衣を借る狐」の状態で、
 取税人は最も嫌われていた。
 それでなくても、民は『神殿税』など色々な税でで苦しめら
れていた。
 イエスは、この民を苦しめる取税人の、「苦しめ行為」を知
っているのか、知らないのか、知らない訳が無いのに、
 この取税人の家に上がり込んで、
 金に明かして、旨い汁を吸って得た金で、旨いものの用意が
されたのだろう。
 イエスは取税人の家に上がり込んで、飲み食いをした。
 民は、イエスを「大酒飲み」とか、「大飯食らい」と揶揄
(やゆ)った。
 これだけが、民のしがない抵抗の姿だった。
 しかし、キリスト教は、この様な状況や、民の気持ちを無視
して、イエスを美化した。
 ただ、盲目的としか言えない美化をした。
 「差別をしない」と美しくキリスト教は言うが、
 逆に、「弱い民をないがしろにする『差別』を、イエスはし
ていた」とも言え、この様な事に目をつぶるキリスト教だった。
 卑劣である。弱い者いじめとなっているのである。
 しかし、この(ルカによる福音書)に、イエスが、何故、こ
の様な事をするのかの、イエスの言葉がある。
 それは、取税人も同じ民族なのだからと言っている。
 そんなのは、当り前。
 同民族の仲間の中でどうするのかの話であるのに、ピントが
ずれた話をしている。
 キリスト教は、「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅
しても良い」の教義があるが、
 その教義の考え方から、飢饉の地のイスラエルの民は、飢餓
状態からの脱出のために、隣国へ攻め込んで、隣国の人を殺し、
富を奪った。
 キリスト教の教義の体質にはこの考え方・思想が流れている
が、『イエスも、まったく、これと同じ』。
 「同民族だからいいのだ」である。ピントがずれている。
 同民族の一般大衆の声はどうするのだ???
 同民族なのだから・・と、言って家に上がり込んで、大酒を
飲み、重税に喘ぐ同民族の民の気持ちを逆なでする。
 何ら民の気持ちを汲んでやっていない。一般の人々・弱い民
のイジメである。人格的には失格者である。
 因(ちな)みに、「取税人は誰でもなれる訳ではなかった。
高い金を出して権利を買う。それが買えるという金持ちだけが、
なれる権益だった」。特権階級だった。強者なのである。
 この「強者の特権に取り入ったイエス」だったとも言える。
 甘い蜜をなめて暮らす人・取税人だった。そして、その取税
システムから、自分の腕力で取り立てる人だった。
 悪辣取り立ての記録がある。
 獲り放題の記録もある。
 『金に魂を売った人非人』。同民族を売った状態。
 民が非常に憎んだ人だった。
 この様な人種にとり入っていたイエス
 もしかだが、「この鼻つまみにとり入ったイエスに、税金上
の特別扱いを受けていたという話・疑惑は否定できない」。
 その様にも考えたいくらいの、「イエスのいれ込みよう」だ
った。
 イエスの『異常な入れ込み』が評判になるくらいだった。太
鼓持ちイエス状態だった。
 民から悪い批判の声があがったら『おしまい』なのである。
        (詳しくは、以下のブログへ)
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