サマリア人は、今でも・・。

題: サマリア人は、今でも・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教の発生の地は、砂漠の地だった。
 飢餓に見舞われる地だった。
 飢える民は、耐えた。そして、さ迷った。
 民族の生き残りの希望から、
 『自民族さえ、生き残りたいとの宗教』が生まれた。
 故に、「神の義があるから」との免罪符の教義から、
 隣国の富・食糧を求め、奪いに攻め入った。
 その行為は、「神の義がある正義」とされた。
 今、恵まれた現代でも、キリスト教はこの教えのままでいる。
 聖書の記述は何ら変えていない。
 恵まれた環境にある現代の人々も、この考え・教義に洗脳さ
れ続けている。
 当時、あまりに悲惨な地の人々は救世主を求めた。
 その救世主を見ると・・・
 キリスト教聖書に記述されている救世主の系図
 そこに記されている『ソロモン王』。
 キリスト教は美しく伝えているけれど・・・。
 実際は、酷(びど)い王であった。
 キリスト教の救世主にはこの様な酷い人間が多い。
 ソロモンは、王位に就(つ)くと、まず、反対派を粛清した。
 そして、エジプト王の娘と政略結婚した。
 そして、エルサレム神殿(第一神殿)を構築した。
 キリスト教の聖書の(サムエル後書 7章)には、
 神・ヤハウェの言葉として、
 「われはイスラエルの子らを、エジプトより導きだせし時よ
り、今日にいたるまで、家に住みしことなくして、
 ・・・われイスラエルの子らすべてとともに歩めるところに
て、汝ら何故にわれに香柏の家建てざるやと、
 ・・・一言だれにも語りしことあるや」・・とある。
 エルサレム神殿は、ヤハウェが居る所としてソロモンは建て
た。しかし、ソロモンの行動が、この様に聖書にはあるが、聖
書の教義を犯していた。
 ソロモンは、妃(きさき)が700人、妾が300人という女性
に関心を奪われた王だった。
 また、ソロモンは、異民族に対し、厳しく専制君主の振舞い
をし、奴隷にし、酷使した王だった。
 奴隷という「人家畜」の世界だった。
 自分たちさえ良ければ良いである。キリスト教の教義・精神
である。
 自分の出身部族のユダ族のみを優遇し、他の支族には粛清で
臨み、それで団結の鉄拳を振るった。キリスト教の説いた「異
教徒は殺せ」である。
 ソロモンの政治は派手で、大土木工事をし、民衆を圧迫した。
 民衆の怨嗟(えんさ)の声は巷に満ちていた。
 人手の挑発は、国民10人に1人という大挑発で、6〜10人の
家族と考えれば、ほぼ1家族に1人が連れて行かれるという
「一家の働きがしらを奪う」という悲惨という言葉が当てはま
る悪状況だった。
 ソロモンが死ぬと民衆は不満を爆発させた。
 イスラエルの国は崩壊した。
 ダビデ王からわずか70年だった。
 以来、イスラエルは、兄弟が相憎み合うような愚かな状態が
続いた。何も輝かしい状態ではなかった。
 そして、いつ果てるともしれない猛烈な戦争の時が流れた。
 『自分さえよければ良いの考え・教義』の崩壊である。
 この愚かな種を撒(ま)いたのがソロモン王だった。
 国は急速に衰えて行った。
 漁夫の利を得る形で、周辺国が王国に侵入し始め、まず、エ
ジプトがユダ王国に、エルサレムが略奪され、
 ソロモンの貯めた財宝も奪われ、
 そして、アラム人に北王国が獲(と)られ、
 なのに、内戦をうち続けて国力を衰微させ、
 農村は荒廃し、借金の利息は最低でも25%になり、
 ますます貧富の差は開き、
 町には浮浪者が満ちた。
 国の連合の宗教は、結び付ける力が弱く、
 一旦、衰微し始めると抑えが効かない状態となった。
 イスラエル人が王位に就く王国支族も出る始末。
 世は乱れた。
 イスラエル北王国は、残虐なアッシリアによって、逐次、蚕
食(さんしょく)された。
 首都(サマリア)は、3年間、防戦したが陥落した。
 サマリアの残虐さは、王を捕えて目をつぶし、貴族を串刺し
にし、民衆を奴隷にして追放した(売り払った)。
 イスラエル十二支族中の十支族は、土地を完全に追われ、そ
の後、まったくどうなったかが分からないという状態。
 歴史の中に完全に消滅し、彼等がその後どうなったかは、誰
にも分からない状態。
 この切っ掛けがソロモンのあまりにも過酷な圧政であった。
 サマリアの地には、混合異民族が来た。
 それは、征服したアッシリアの政策だった。
 それは、サマリアに居た民は奴隷として連れ出し、その後、
異民族の移民をサマリアの地へ連れて来た。
 そうして民族意識を破壊し、抵抗の根を絶やそうとした。
 故に、サマリアは混合異民族の混血の民となった。
 故に、彼等は昔は連合の支族だったが、南方のユダ王国・支
族の民・ユダヤ人から、「サマリア人」と賤(いや)しく呼ば
れた。
 差別された。
 イエス・キリストさえ蔑(さげす)み賤しんだ。
 イエスの心底にはこの様なところが流れている。
 (マタイによる福音書、10章)に、
 イエスの言葉として、「異邦人のみちに行くな。またサマリ
ア人の町にはいるな」と。
 今でもサマリア人は生存している。しかし、・・・。
 キリスト教聖書に書かれたが故、悲惨な事に、今・現在でも、
サマリア人は虐げられ、ゲリジムの山の付近に居て、
 二千数百年間、
 自分たちの内部にだけ閉じこもっての生活だという。
 結婚も同部族だけの血族結婚の繰り返しとなってしまい、
 不具者が非常に多いという。
 イエスに虐(しいた)げられた事を言われ、
 そして、キリスト教に忌み嫌う教えを説かれ、
 キリスト教聖書にも虐げの言葉を刻(きざ)まれ、
 長年、虐げ続けて来たキリスト教の『悪行為の結果』である。
 差別である。
 キリスト教は卑劣な事をして来ている。
 今・現在もしているという卑劣な宗教だ。
 サマリア人の民族は、絶滅の日が近いと見られている。
 悲惨な事だ。
 キリスト教、何が、人類救済の宗教と言えるのだ。愛の宗教
と言えるのだ。
 (参考)えん‐さ【怨嗟】 [名](スル)うらみ嘆くこと。
 (参考)蚕食 cánshí [動] 蚕食(さん/しよく)する,じわじわ
侵略を重ねる。
       (詳しくは、以下のブログに)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
URL: http://moppo28.blog.so-net.ne.jp