『砂漠の地』の宗教について・・・

 題:『砂漠の地』の宗教について・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の生まれた地は、『砂漠の飢餓』と背中合
せの地だった。
 キリスト教は、『その様な環境下で生きる民族』の宗教
だった。
 キリスト教は、飢餓の地の『自民族の生存だけを祈る』
宗教だった。
 そして、自民族が飢餓に見舞われ、飢餓にさ迷い、また、
飢餓が差し迫った時、
 「(キリスト教の)神の義」を掲(かか)げて、隣国へ
富を求めて、略奪の殺戮行為を行った。
 そこに、キリスト教は、『(キリスト教の)神の義』が
あるから正義であるとした。
 隣国の人たちを殺戮しても、誅したこと(正義を持った
者が、正義のない者を殺すこと)で、よいのだとした。
 その様な自分だけの考え方・教義で、隣国へ富を求めた。
 自民族だけが利する『利』を求めた。
 そして、その行為は、
 生きる糧のみならず、
 人家畜とする奴隷制度を認めるキリスト教の教え・教義
で、隣国の民を捕え、自分のものとし、奴隷とした。
 神は叫ぶ、『○○人は皆殺しにせよ』・・と、
 そしてまた、キリスト教の神は教え、洗脳した。
 『△△人は、男だけを殺せ』・・と、
 キリスト教の神は洗脳し、教えた。
 『生娘は生かしておけ』、『奴隷にせよ』・・と、
 神は叫びつづけた。これを、キリスト教の教義とした。
 あまりにも悲惨なその教義は、その後のキリスト教の歴
史をも性格づけた。
 悲惨な争いのキリスト教の歴史が連綿と続いた。
 キリスト教は、その様な宗教である。
 キリスト教は、『隣人を愛せよ』の言葉もあると言うが、
 これは、キリスト教プロパガンダ(嘘宣伝)にまみれ
て宣伝されている。
 この『隣人』は、「自民族で、同じ宗教を信じている」
「我々の民」を、『隣人』としている。
 そして、その『隣人を愛せよ』と言っている。
 この様な、キリスト教の教義に、洗脳されたキリスト教
の民と宣教師は、悲惨な行為を世界中で行い、他民族の悲
鳴の中で蛮行を繰り返した。
 隣人愛の『愛の宗教だ』と言うのは、キリスト教のプロ
パガンダ(嘘宣伝)である。
 キリスト教の歴史は、この嘘宣伝・プロパガンダに明け
暮れている。
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 (追記)
 「飢えた獅子に、救ってやろうと、自らの身を献じる仏』
の話がある。
 が・・・、
 我が民族という視点で、他民族をとことんしゃぶり奪う
キリスト教の行動と教え。
 そこに『愛』があるなどとは決して言えない。
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 そして、
 イスラエルの民・カナンの人々は、多神教であった。
 一神教ではない。
 キリスト教による『作られた嘘宣伝・プロパガンダ』で、
一神教の民の様に思われているが、多神教の宗教の中で、
連綿と生きて来た民であった。
 エルサレム大学の教授は、一神教になった歴史は浅いの
だと言う。
 長い多神教の歴史の中にいた民であった。
 日本と同じ様な八百万(ヤオヨロズ)の神々を信じる民
だった。
 イスラエルの12の支族が定着する以前からの多神教で、
様々な神々が居て、拝まれていた。
 『太陽神のシャマシュ』や、『天候の神のランマン』や、
『電光の神のバラク』や、『後にぺリシテ人の神ともされ
ダゴン』や、『知恵の神のネボ』や、『幸運の神のガド』
や、『大地の母神のアシュタロテ』や、『その妹であって
蛇の化神だというアナト』や、『農業の神だというバアル』
などなどである。
 そして、カナンに定着し、だんだんと定着も進んで行っ
た。
 カナンの人々は、土着のカナンの人たちと交わり、結婚
した。雑婚であった。
 それによっても、定着が進められて行った。
 キリスト教が誇らしげに言う武力侵攻ではない。
 カナン人の神々の中で、中心的な神はバアル神で、カナ
ン人の信仰は、この『バアル信仰』であった。
 ヤハウェ信仰ではない。
 ヤハウェ神の信仰になるまで、まだまだ歴史を要した。
時間を要した。数百年後の歴史の後でその様になって行っ
た。
 キリスト教の聖書が、連綿と続くことを強調するが、そ
れは作られたことで、『嘘』である。
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