(続)キリスト教の話・・2題。

 題: (続)キリスト教の話・・2題。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教を実質的に作った、
 キリスト教宗教企画者のパウロが、
 何故、「復活」を重視したかと言えば、
 パウロは、ユダヤ教の「ファリサイ派」に属していた。
 その属していたユダヤ教ファリサイ派が、
 「復活を信じ、重視していた」
 ・・・というだけの話。
 因(ちな)みに、ユダヤ教の「サドカイ派」は、
 復活を信じていなかった。
 死人の中から復活するという事は、古代に流行(はや)る
「古代的世界像に基づく、ある1つの観念」だった。
 当時でさえ、
 古代人に「何ら普遍性の無い観念」だと捉(とら)えられ
ている観念に過ぎなかった「復活観念」。
 キリスト教は、
 たまたま、宗教企画したパウロが、
 「復活観念を重視するユダヤ教の派閥に属し、
 キリスト教にその観念を導入しただけのこと」。
 故に、キリスト教は、
 古代人さえ普遍的ではないと捉えている「復活」を重要視し、
 たまたまの経緯(いきさつ)から、
 「復活」を、キリスト教の重要教義・『根幹教義』にした
だけのこと。お好みの領域の話。
 故に、イギリスのアンケート調査で、
 この復活の観念を、
 キリスト教聖職者さえも信じている人は少ない(半数以下)
 という実態となっている。
 このキリスト教の『根幹教義』を信じないで、
 よくキリスト教聖職者をしていると呆(あき)れる。日本も
この程度?
 そして、キリスト教にある「ある話」。
 イエスが復活できる事を、
 キリスト教の神は知っていたから、
 神はイエスを選び、殺したんだ・・と、キリスト教は言う。
 イエスを贖(あがな)いの血の生け贄(いけにえ)のターゲ
ットに選んだ・・という理由の話が、キリスト教にある。
 咄嗟(とっさ)に、くだらないこと・・と思う。
 そして、さらに言う、
 「故に、この様な信仰が生まれたのだと、。
 何か変だ? 何か変に感じませんか?
 この様な「子供だまし」の様な論理を。
 この様な論理や教義で信仰を展開して行く、いつもの、キリ
スト教なのだが。
 神に捧げる生け贄は、命を捧げて、捧げた命でもって、神の
怒りを治めようと、古代からある、この様な信仰に基づく所作
である。
 そうでは無いのでしょうか?
 イエスが復活するのを知っていたから、神に捧げる生け贄に
したとは?
 結局、神への捧げる命は復活していいのだと、スマしていて
良いのか?
 神聖な神への捧げもの、その神聖な「捧げる行為」が、神へ
捧げたことには、ならないのではないのか?
 くだらない「論理の隘路(あいろ)」で、何の益もない論理
を弄(もてあそぶ)ぶ、キリスト教の教義。
 キリスト教とはこの様な宗教で、終始、この様に論理が無駄
な展開をしている。徒労(とろう)に終わる宗教。心も病んで
行く。