キリスト教は、『愛の宗教』か・・?

 題:キリスト教は、『愛の宗教』か・・?
 これは、キリスト教プロパガンダ(嘘宣伝)です。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教が「愛」の宗教の欠片(かけら)もない事は、次
キリスト教聖書の言葉で分かります。
 「われヤハウェ、汝の神は嫉(そね)む神なれば、われを憎
む者にむかいては、父の罪を子にむくいて3、4代に及ぼし、わ
れを愛しわが戒(いまし)めを守る者には、恩恵をほどこして
千代にいたるなり」(「出エジプト記」20章)。
 これは、嫌になるくらい自分だけに固執(こしつ)するキリ
スト教の神の性格を示す1例です。
 信じてくれない者には、信じない者だけでなく、3代も、4代
も祟(たた)るぞと、執念(しゅうねん)深い呪(のろ)いの
言葉を吐(は)く。
 そのくせ、信じてくれるなら千代に渡って恩恵を上げます・
・・とくる。
 こんなキリスト教の神が「愛の神」である訳がない。
 こんな宗教を信じて人類が幸せになれるはずがない。
 ここまでキリスト教の神が、脅しで「戒めを守れ」と言って
も、パウロというキリスト教の骨格を作った人は、キリスト教
に律法は無用だと、『律法無用論』で律法を捨てた。
 そして、アブラハムは、ベルシバの井戸をめぐって、新来の
べリリシテの隊長と誓約を交わした。
 ここでも出てくる「取り決め書」・約束事・律法である。
 カナンの土地には次々に新しい民族が入って来た。
 狭い土地に雑多な民族が雑居した。
 規律や律法は必要なのだ。
 この様な狭い地の規律を保つために、他民族との契約や自民
族の規律を守る規範が必要だった。
 それがモーゼの十戒である。
 「殺すな」「盗むな」「嘘を言うな」「貪(むさぼ)るな」
「姦淫するな」「隣人の妻を奪うな」「家畜を奪うな」「召使
を奪うな」「父母を敬え」「偶像を作るな」「みだりにヤハウ
ェの名を口にするな」「7日目には休め」である。
 品位の低い民への最低の規範を示したもの。
 いま、世界中で規範にする様なレベルのものではない。
 当時のイスラエル人の倫理レベル・道徳レベルが低く、他民
族との関係、及び、自民族の乱れが酷かったのでできた規範。
 倫理レベルは呆(あき)れるほど最低のものなのである。
 キリスト教とはその様な宗教。
 (参考)き‐はん【規範/軌範】 1 行動や判断の基準となる
模範。手本。「社会生活の―」 2 《(ドイツ)Norm》哲学で、
判断・評価・行為などの基準となるべき原則。
 (参考)むさ‐ぼ・る【貪る】 [動ラ五(四)]《「むさ」
は「むさと」と同語源、「ぼる」は「欲(ほ)る」の意》 1 飽
きることなくほしがる。また、際限なくある行為を続ける。「
暴利を―・る」「惰眠を―・る」 2 がつがつ食べる。...