仏教の求めるものの1つに・・・。

題:仏教の求めるものの1つに・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 仏教は多様な考え方を柔軟にする。
 その仏教が求めるものの1つが、下記の言葉の中にある。
 「
  まとめれば、直接的にであれ間接的にであれ、
    私の母である総べての衆生に、
       幸福と益をともに捧げることが出来ますように、
         彼らを苦しめるもののすべてを、
          密かに私が引き受けることが出来ますように
                            」
(ゲシェ・ランリ・タンパの『心を改造するための八つの詩頌』)
の一つ・・とある。
 仏教は、総べての人々・衆生へ、私の母である衆生の人々へ、
 直接であってもいい、間接的であってもいい、
 どんな方法ででも、
 衆生の皆様・人々に、幸せと豊かさを捧げることができます
ように、そしてまた、
 愛する彼らが苦しめられない様に、
 たとえ彼らが苦しめるられているのなら、その苦しめるもの
すべてを、密かに私が引き受けますから、引き受けることが出
来ますように・・・仏教には、
 既に、この様なキリスト教が求める様なものは既にあった。
 仏教は、幅広く思考を巡らして来た宗教であるが、標記の様
な教義・考え・思想もあった。
 キリスト教の様な1つの範囲ではない。
 仏教は、幅広い総べての人々・衆生への思い遣り・愛を示し
たのに対し、そして、深い愛であるのに対して、
 キリスト教は、「キリスト教の信徒に対して、十字架上の血
で贖(あがな)った」としている。
 キリスト教は「人々・衆生」ではない。その他の人々は、キ
リスト教とは違う宗教を持った人々だとして見る。
 異教徒として見る。
 そして、「異教徒は殺せ」の教義に思考が支配される。
 どうしても、人々を、キリスト教以外を信仰する民と見るキ
リスト教の教義から限定されたその思考に支配される。
 異教徒へは嫁にやるなという教義もある。