キリスト教の『殉教』について・・・

題:キリスト教の『殉教』について・・・
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 キリスト教徒は、
 日本において、1622年に長崎で55人が殺された。
 また、翌年の1623年に江戸で50人が殺された。
 それを、
 キリスト教は「大殉教」と言っている。
 戦慄的だと言っている。
 キリスト教は、
 その教義の故に、
 キリスト教のその教義によって、
 世界の人々を数えきれないくらい殺して来た。
 異教徒の他民族の殺戮の歴史だった。
 「異教徒は殺せ」のキリスト教の教義には憤りを覚え、
 卑劣さに怒る。
 そして、
 歴史では愚かにも、
 同じ過(あやま)ちを繰り返している。
 例えば1例、
 キリスト教徒と同行したキリスト教聖職者たちが、
 南米で、
 そして中米・北米メキシコ、
 そして、それらの離島で、
 数えきれないくらいの人たちを殺し、
 殺戮した。
 数は数百万人と言われ、
 また、千万人以上のオーダーになるとも言われている。
 なんと驚くべき人数ではないか。
 この人数に驚かないのか。
 キリスト教徒は、
 この世界で殺した方々の無念を思い、
 悔い改めない限り、
 キリスト教徒の殉教について軽々に口にしてはならない。
 また、一般的に、
 キリスト教だけが、特に、声高に
 「キリスト教徒の殉教について、
 声高に、PR的に言うが、
 これは、自らが殺戮してきた行為を、覆い隠す行為とも
 指摘されている」。
 卑劣な事だ。
 岩波新書の「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
 ラス・カサス著をお読みください。