時の流れは、その中にある・・

 題:時の流れは、その中にある・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 エジプトには、豊かな「ナイルの流れ」があり、
 その豊かな「ナイル川の流れ」は、豊かな実りをもたら
しました。
 そしてまた、その豊かな実りは、民へ豊かな生活をもた
らし、
 豊かな生活は、「豊かな文化」をもたらしました。
 エジプトの文化は栄えました。
 花は大きく開きました。
 その文化は、数々の『人類の至宝』を生みだしました。
 それに引き換え、
 「キリスト教の生まれた地・パレスチナ」は、
 砂漠の地で、『飢餓と背中合わせの地』でした。
 民は、飢餓にさ迷い、
 大挙して豊かなエジプトに流れ込む事もしばしばでした。
 BC17世紀の時にも、この様な事がありました。
 因(ちな)みに、
 この豊かなエジプトが貧しくなったのは、ヨーロッパ・
キリスト教諸国の『植民地支配』があったからです・・、
 民が得るべき『富み』は吸い上げられました。
 民・国民のための作物は、栽培できなく・・、
 植民地支配をする側の国の『儲けに都合の良い作物』で
ある「商品作物」を作らされました。
 土地も貧しくなって行きました。
 かつては「非常」という言葉を付けることが出来るほど
の豊さだったのに・・。
 例えば、エジプトと同じ様に植民地支配に苦しめられ、
泣いた「インド」の例をみると・・、
 支配者のイギリスは、実質、「国策であるインド支配」
を「東インド会社」を作って会社組織で行いました。
 これは、表面を繕(つくろ)っているのです。
 東インド会社は1600年に作られ、
 インドを、何と、『257年』にも及ぶ長い長い期間牛耳
(ぎゅうじ)りました。苦しめ、搾取しました。
 その富の奪い取り・取り上げ・吸い上げは凄(すさ)ま
じい限りで、
 「非人道的」などという言葉は、とっくに、通り越して
いる状態でした。
 「奴隷としての人の使役」を赦(ゆる)すキリスト教
 「奴隷制度」を容認するキリスト教
 このインドの収奪も、形の変わった『奴隷制度的略奪』
でした。
 キリスト教の発生地の出来事。苦しい時には「隣国の富
を奪いに行く事を、『神の義がある』から赦されるのだ・
良いのだとするキリスト教
 その考え・思考形態・文化に染まった植民地支配国・イ
ギリスのなす行為。
 悪辣(あくらつ)ぶりの一端、この東インド会社の配当
率を見るとびっくりする。
 この257年間に、なんと、100%の配当率を割り込んだ
事はありませんでした。
 銀行の利子が1%にも達しない事からもお分かりと思い
ますが、如何(いか)に悪どく利益をこの会社は得ていた
か・・という事です。
 堂々とこの様な馬鹿みたいな配当を、超・長期にできた
という呆(あき)れた話なのです。
 この様な配当が出来たこの会社がどんだけ収奪利益があ
ったかは想像を絶します。
 旨い汁を吸ったこのヨーロッパ・キリスト教諸国は、
 この1例の様に、あらゆる場面で利益を吸い上げていま
した。
 そして、この様な行為は、世界のあちこちで、強い立場
を利用して、弱小の国の富を吸い上げ、本国へ持ち去り、
奪い去りました。
 本来は、差別されている植民地の人たちのものを・・。
 当然、当り前のことですが、ヨーロッパ・キリスト教
の本国は、豊かになりました。
 収奪・奪(うば)った富み・利益で肥え・太りました。
 その1例が、今・現代でも、強者の国・差別行為をした
国・収奪した国=本国のキリスト教諸国に見られる「社会
資本の充実ぶり」です。
 綺麗なのは当たり前。自分たちで稼いで作ったのではあ
りません。
 綺麗なヨーロッパ・キリスト教諸国の街などは、世界の
弱者の国から吸い上げた富で出来ている。
 キリスト教に偏するNHKは「世界遺産」という番組名
で、何度も何度も放送するが、再放送に再放送と、その放
送頻度は「ヨーロッパ・キリスト教国」に偏(かたよ)り、
番組名の「世界」を冠しているのが泣くぐらいです。
 番組名を「世界遺産」ではなく、「ヨーロッパ・キリス
ト教国遺産」としたい位です。
 そして、キリスト教会とかキリスト教関係(例えば、ま
ったく関係のないミサなど)を放送し「巧妙な伝道行為」
をしています。
 さて、飢餓の苦しさから、豊かなエジプトに逃れた「イ
スラエルの民」の話は・・、
 エジプトに逃れたパレスチナの民は、当初は寛大に受け
入れられていました。
 しかし、エジプトで、BC13世紀の頃になると、パレス
チナの民は奴隷化されて行きました。
 でも、パレスチナの民も、エジプトの宗教を信仰する様
にもなったりして、エジプトに溶け込んで生活しました。
 エジプト脱出の時に、苦しい場面で、モーゼがなじられ
たくらいでした。「こんなに苦しいならエジプトに居れば
よかった」と・・。
 それなりの安定した、満足した生活をしていました。
 パレスチナの宗教は、「律法を守る事が大切」とされ、
 「律法を守れば、神は保護してくれる」、
 しかし、「律法を守らないと、神は陰湿化し、色々な仕
打ちをする」。
 キリスト教の神は、「総べてにおいて、この発想」。
 「律法を守れば保護する」、「そうでなければ、懲らし
め・虐(いじ)め」です。
 また、この発想で、信仰していない異教徒に対しては、
キリスト教の教義である「異教徒は殺せ」の対応です。
 結局、キリスト教は、
 「キリスト教の神様、これからは、あなたの言うがまま
にします」という宗教。
 そして、キリスト教は「契約の思想が入り、介在すると
いう宗教」。
 そこには、『契約していない人は知りません』という「
限定」が厳然とある宗教。
 故に、『契約外の人も守る』という宗教では無い。
 「契約の外の人は排除する」というキリスト教の宗教思
想・理念・教義の宗教。
 「宗教教義を信仰する人の身だけを守る宗教」。
 「人類救済の宗教ではない」。
 「愛の宗教といっても、同じ宗教を信じる、同じ民族を
対象とした=我が民族の同じ宗教を信じる民だけへの愛」
となる。(隣人愛である)
 だから、異教徒の人々が、いくら苦しみに、のたうち回
っていようが、無視するという教義・考え方の宗教。
 無視するというより、「異教徒は滅っせしめよ(殺せ)」
の宗教教義なのです。
 「キリスト教の神は、信者だけの安寧(あんねい)と幸
福だけを守る」。だから・・・、
 「自分の国の兵隊が死なないためには何でもする」。
 「異教徒の命なんて意識の外」。
 「ましてや」、自国の兵の命を捨てて、異教徒の民を守
るなんて、考えられないくらいな、「あり得ない事」。
 「甘い考え・期待は捨てよ」。
 「自分の事は自分で」。
 キリスト教の教義は、その様に、教徒へ、幼い時から、
 この様な話を教え、聞かせ、育って来た、
 洗脳されて来た。
 過去の歴史は、この事例で満ちています。
 北アメリカのインディアンの方々、
 南アメリカや中米などのインディオの方々、
 オーストラリアのアボリリジニの方々、
 アフリカ大陸の方々などなどなどなど・・。
 好きなまでに、ここまでかというところまで、
 際限なく
 蹂躙されています。
 時の流れは、今も、その中にある。
 (題:時の流れはその中にある)完。
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 (参考)し‐ほう【至宝】 この上なく大切な宝。
 (参考)あく‐らつ【悪辣】 [名・形動]情け容赦もなく、
たちが悪いこと。あくどいこと。また、そのさま。
 (参考)あん‐ねい【安寧】 無事でやすらかなこと。特に、
世の中が穏やかで安定していること。
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(詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/