この世界は美しい、人生は甘美である 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

 題 : この世界は美しい、人生は甘美である 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつもの様に托鉢
     に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたって、
     常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発した言葉に、
     周りの弟子達はおどろかされました。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて耳に
     する言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を微笑みながら
     見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのいきさつ、
     そして、仏陀の老いと病と、そういうものが、いくつも
     つき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、
     仏陀とアーナンダの間に、こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深い対話です。

        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの様に
       言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

      これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉なんです
     けれども、あのー、色々ありまして、サンスクリットの方から訳
     されたこのくだりにはですね、非常に印象的な言葉が加えら
     れています。

        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である

      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書かれて
     いる訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀が、言われた
     かは分かりません。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉を、
     さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加えたかもしれ
     ません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀にそうい
     う風な言葉を言って欲しいなーという風に、心から思っていた
     ことが伺えるのですね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生とい
     うものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・シンキングと
     言いますか、どん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そして、生老病死
     様々な苦しみに満ちている。
      この苦しみの中から人はどのように苦しみに耐えて生きて
     いくか。
      仏陀は、その事を終生、ずーッと追求し続けた人なんですが、
     それでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏陀
     最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後に、仏陀
     に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居たことなんでしょ
     うね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に生き続けることは、
     本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその様に、物語
     の中で自分達の思いを、仏陀に託して、そして、こういう事を
     言って欲しかったという事を付け加えて、伝承というものが生
     まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わないとは別に、人々
     が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、醜の世界
     から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行きたいという願い
     を抱き続けて、2500年も生き続けて来たという事を表してい
     る訳ですから、それはそれで真実であろうという風に思う所が
     あります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われた。

        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れを惜しんだと言
     います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴァイシャリー王に
     よって建立されたと伝えられております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺骨の一部を納
     めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあたりで布教活動して
     いるお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げています。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりますが、お釈迦様
     は、好んでこの地で法を説いていました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に語ったと伝えられ
     ています。

        私は、この地にずっと留まることは出来ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいます。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせて下さい。
        この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: 
        ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラ
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                            (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、翌日、釈迦の
     一行が訪れた時は自ら給仕してもてなしました。
      食事が終わった時、彼女は、釈迦が留まった果樹園を教団
     に寄贈することを申し出て釈迦はこれも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。

        尊師は法に関する講話をもってかの女を教え、
        諭し、
        励まし、
        喜ばせ、
        座から起って、
        去っていった 。