TPP 弱肉強食の世界の「 強者 」は、ここまでする事を、歴史が示している(改訂版)

題:TPP 弱肉強食の世界の「 強者 」は、
       ここまでする事を、歴史が示している」(改訂版)

 TPP、締結か?否か?
 TPPは、グローバリゼーションを是とする考え方。

 当然その時、「良いものは良いのだ」との意識が基本に働く。

 アフリカの草原で、弱った個体が餌として狙われ、
 その個体が餌として存在することにより、
 「捕食した動物は生を伸ばす事が出来」、
 また、
 「捕食された動物も、その餌になった個体のお陰で、死を逃れる
事が出来、且つ、より健全な個体の集団へと変わることができる」
と言える。
 いわゆる、弱肉強食のメカニズムである。

 「供犠(くぎ)が捧げられる世界」であるとも言える。

 良い、且つ、優れているからこそ 皆が求める、
 また、その求めに応じる。
 「それが正義」なのであるという。

 キリスト教は、強い民族が、困った時に、
 隣国の富を奪いに行く事を
 「(キリスト教の)神の正義」としている。

 日本も、強国によって、この奪いに行く国の、対象の国の如くに
なってくるのか?・・とも思える。

 キリスト教の神は、『神の正義があるなら』やっても良い、人の
命を奪う事、誅しても良いとする。

 聖書の申命記に、キリスト教の神は、「○○人は男を殺せ」「○
○人は、皆殺しにせよ」「生娘は生かしておけ」「奴隷にせよ」と
指示し、叫ぶ。悲惨な殺戮の世界になる。
 そして、
 キリスト教は「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い」と説く。
 現代ではない、古代の地に、現出した実際の世界である。
 弱肉強食の『 実際に現出した 』世界である。
 (現代では そのようなことは形を変えて起きている)。

 強い者が弱い者に『 配慮せずに 』行動すれば、この様になる
という史実である。

 強い者の論理が 『正義として』 世界を制覇する論理である。

 その強い者は、
 「戦い方のみが優れているだけ」かもしれない・・・が、
 結局、強い者が、
 南米・中米・北米メキシコ・そして離島の各所で、
繰り広げられた「キリスト教徒と同行したキリスト教聖職者」たち
の仕業(しわざ)の事例。
 全滅・すべての命を奪う行為と、
 それ以外にも、この部屋一杯に黄金を満たせば「王様の命を助け
てやる」と言い、
 結局、王様の命は奪うという、策略まで用いて、徹底的に「 富
をも 」奪い(人命と富の略奪)と、
 更に、インカの様に、結局、どの様な文化だったのか、不明?
 まったく不明な状態になる例の様に 「文化をも『めちゃめちゃ
に破壊』し、文化のすべてを奪う」(命と富と文化の略奪)。

 そして、その地に、
 キリスト教徒の征服者たちは、アフリカの人々を「奴隷として(
キリスト教聖書には、奴隷というものを教義として教え、
 キリスト教の教義ゆえに、歴史を連綿と伝えられ、
 歴史を経ながら、個々の悪行は行なわれ、
 教義ゆえ忘れられずに 保ち続けられている」。

 人のいなくなった地に、
 このキリスト教の教義の悪行による奴隷を、
 連れて、
 キリスト教徒の征服者たちは、インディオスの絶滅した地に
 乗り込む。
 そして、
 キリスト教徒は、その地も奪う(命と富と文化と土地を奪い、奴
隷の人生を奪う)。
 そして、
 山の頂には「イエス像」を建て、
 「宗教をも奪い、征服者の宗教の像」を立てる
  (命と富と文化と土地と奴隷の人生と宗教を奪う)。
 「偶像崇拝を忌む自分たちの宗教教義をそっちのけでイエス像を
立てる」。

 「弱肉強食の強者は、ここまでする事を歴史は示している」。
 弱肉強食論理には、『何らかの歯止め』が「必ず必要なのだ」。

 総べてをまな板に乗せ、規制や歯止めは一切認めない。
 あるのは、弱肉強食の論理だけという世界。

 強者は「安価」「経済的」「効率的」「品質的(美味いなど)」
などの長所が、「積極的に美化され」「強調され」ているが、
 果たして本当にそれで良いのか?
 正しいのか?

 かつて
 「効率を追い過ぎた」の声を良く聞いた時もあったが。
 総べての面で、強者がよいと
 「強者の論理が」
 「強者ゆえの立場を利用して」
 「巷にその論理が良いような錯覚をまきちらしながら」流れてい
く。
 強者の論理以外の価値は総べて否定される。

 「安全保障」「リスク」「弱者の論理」など、まだまだ、検討・
討論すべき面は多い状況のはずです。

(参考:関連記述)
 ダーウィンは、進化論において、「生物の進化は弱肉強食の結果
だ」と言う。
 「生物界は優勝劣敗、適者生存、弱肉強食で自然淘汰される」と
言う。
 「強者が栄え、弱者が滅びるのはやむを得ない自然界の定めだ」
と言う。
 この進化論の考え方は、生物の進化にとどまらず、人間社会、社
会活動の新しいパラダイム(規範、枠組み)の誕生の導火線ともな
った。
 「強者はいよいよ強く、富を独占し、弱者が切り捨てられるのは
進化のためにやむを得ない」という非情な独占資本主義へと進むこ
とになった。
 日本の今西錦司(いまにしきんじ)氏(京都大学名誉教授)は、
「棲(す)み分け原理」を提唱した。
 「自然界は食うか食われるかの弱肉強食の関係ではなく、相互に
テリトリーを持っていて、
 できるだけ争いを避けて棲み分けている。
 動物たちは棲み分けによって『共存』している」。

 しかし、歴史は、キリスト教的なダーウィンの方向へ進みました
ダーウィンキリスト教聖職者)。
 そして、弱者は、人間の飽(あ)くなき欲望の渦の中で、一方的
に支配・搾取される立場に追い込まれました。

 (参考)ダーウィンについて:
 ダーウィンは裕福な家庭に育ち、
 ダーウィンの父は、ダーウィンを牧師とするために1827年にケン
ブリッジ大学クライスト・カレッジに入れ、神学や古典、数学を学
ばせました。
 ダーウィンは、牧師なら空いた時間の多くを博物学に費やすこと
が出来ると考え、父の提案を喜んで受け入れました。
 ダーウィンは、キリスト教徒として、25年間もクリスチャン生活
を営んだものの、とうとうキリスト教を捨てました。
 キ リスト教への疑問が大きく膨らんだ結果でした。
 ダーウィンは、大学でキリスト教を専門に学んでいましたし、教
義面については誰よりも精通していました。
 しかし、愛娘(まなむすめ)が亡くなった時が、キリスト教を棄
てるきっかけの一つでした。
 キリスト教は、人間の死の原因を罪に求める。
 「しかし、私の幼い娘がどんな罪を犯したというのか」。
 ダーウィンキリスト教の教義への不信が、この時、炸裂しまし
た。
 以後、ダーウィンは、キリスト教に「完全に」背を向けてしまい
ました。
 彼は、ビー グル号での航行の途上でさえ、正統派のキリスト教
者であり、船の中で聖書を絶対規準として道徳を語ったため、同乗
者から 「失笑を買った」くらいでしたのに。
 ダーウィンは、決して無神論者では ありませんでした。
 イギリスのキリスト教の国教会は、ダーウィンに謝罪しました。
 「チャールズ・ダーウィンへ。あなたの生誕から約200年を経た
今、英国国教会はあなたの考えを誤解し、最初の対応を誤ったため
に、今もなお偏見が消えない状況を生みだしたことを謝罪します」。
 だが、「今でもなお、進化論に反対することが、キリスト教徒に
とって『信仰のリトマス試験』になっています。

 (参考)今西 錦司(いまにし きんじ):
 1902年1月6日 - 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人
類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊
長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、193
9年)。京都の織屋「錦屋」の生まれ。
 (参考)グローバリゼーション【globalization】 国家などの境界
を越えて広がり一体化していくこと。特に、経済活動やものの考え
方などを世界的規模に広げること。グローバライゼーション。
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術的(じ
ゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
(参考)い・む【忌む/斎む】 [動マ五(四)] 1 (忌む) ①呪
術的な信仰などから、不吉なものとして避ける。禁忌とする。「葬
式は友引の日を―・む」「宗教上、肉食を―・む」 ②嫌って、避け
る。「革新を―・む」「退屈を―・む」...