民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

題 : 民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

インドの仏教歌:金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀
        来ていることを知らせます

ナレーション: ガンジスを渡った仏陀は、いくつかの村を経て、
     ヴァイシャリーへと向かいました。
      そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。
      仏陀の時代、北インドは、16もの国にも分かれてい
     ました。
      その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針をは話し合
     いで決める進んだ国でした。
      大パリ二ッバーナ経には、仏陀が、ヴァッチ国の事を
     賞賛した言葉が記されています。

        ヴァッジ人が、
        しばしば会議を開き、
        会議には多くの人が参集する間は、
        ヴァッジ人には繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
        ヴァッジ人が、
        共同して集合し、
        共同して行動し、
        共同してヴァッジ族として
        なすべき事をなす間は、
        ヴァッジ人には、
        繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。

ナレーション:仏陀は、ヴァッジ国をこよなく愛していました。
      仏陀の一行は、ヴァイシャリー郊外のマンゴー園に留
     まります。
      布教の旅では、決まって町外れに滞在します。
      修行の為には静かな環境が望ましいが、托鉢をするに
     は人の集まるにぎやかな場所が必要です。
      「俗に染まらず、俗から離れず」
      大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園での逸話が
     残されています。
五木さん:イヤー、見事な果樹園ですね。あのー、これは、マンゴ
     ーの木なんだそうです。
      僕は、マンゴーは、恥ずかしながら、畑の中に生ると
     思っていたのですが、こういう堂々たる木の中に、マン
     ゴーが沢山生ってる姿は、想像しませんでした。
      ここは、ヴァイシャリーという所の郊外のマンゴー畑
     なんですけれども、ガンジス河を渡った仏陀は、このヴ
     ァイシャリーの街中ではなく、街からチョット離れた、
     この郊外のマンゴー畑の中に居を定めます。
      そして、しばらくここに滞在する訳なんですね。
      それで、このー、不思議な事に、ここにはとっても華
     やかで人間的なエピソードが一つあるんですが、このマ
     ンゴー畑の所有者といいますか、地主の方が、ヴァイシ
     ァリーの町では大変著名なサロンの女主人公と言います
     か、実は、高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、
     遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなくて、一夜
     の値段が、牛何十頭などという、王侯貴族を相手にする
     という様な、しかも教養もあり、音楽もあり、文学も出
     来、詩も詠めるという素晴らしい、高名な女性であった
     らしいんですね、で、そのアンバパーリーという女性な
     んですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名な仏陀
     が滞在しているという事を聞いて、そして、教えを乞い
     に仏陀のもとへやって来ます。
      そして、仏陀から様々な話を聞いて大変深く感動して、
     感動したアンバパーリーは、自分の、是非、屋敷に招待
     して一夜の宴(うたげ)を催したいという風に、仏陀
     申し入れます。
      遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどういう風に
     応対すべきか、ちょっと、分かりませんが、仏陀は、そ
     こんところを非常に快く、つまり、法といいますか、仏
     法というものを尊ぶ心の持ち主ならば、いかなる職業で
     あっても差別しないという、そういう気持ちからでしょ
     うか、仏陀はそれを承諾するんですね。
ナレーション:仏陀が、ヴァイシャリー郊外に滞在していることを
     聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきます。
      「自分達も仏陀を招待したい」と申し入れました。
      しかし、仏陀は、既に、遊女・アンバパーリーの招き
     を受けていると、その申し出を断ります。
      貴族達の中には、自分達より遊女を優先するのかと非
     難する者も居ました。
五木さん: ここで遊女という、アンバパーリーという、女性の話
     が出てくるというところがですね、この経典の中での、
     ある種の非常に興味深い所です。
      それは何かと言いますと、やっぱり当時のインドでも、
     女性に対する偏見というのは、今よりもっともっと深い
     ものがあったに違いありません。
      ましてや職業の貴賤ということに関しては、さらに偏
     見が多かったと思うんです。
      そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、どうい
     う職業の人間であろうと、分け隔てなく接する、そして、
     「人間は、皆、平等だ」という仏陀の基本的な仏教の考
     え方というものがですね、そのエピソードの中に盛り込
     まれているんじゃないか、今から2500年前、それほど
     の昔にですね、今でも、なお、残っている女性に対する
     蔑視とか、職業に対する差別とか、そういうものを乗り
     越えて最後の旅を続けて行く仏陀の姿に、なんとなく共
     感を押さえる事が出来ません。
ナレーション: ヴァイシャリー郊外に、遊女アンバパーリー縁(ゆ
     かり)といわれる仏教遺跡が、今も残されています。
      後の時代に、インド北部一帯を支配したアショーカ王
     が建立した石柱とストゥーパ・仏塔です。
      仏陀と一人の遊女の出会いが、人々の心を動かし、大
     きな仏教遺跡となって残されたのでしょうか。
      仏陀は、このバイシャリーの地で大きな試練に出会う
     ことになります。
      ここで命をも脅かす様な、重い病を得たのです。
                         (つづく)
(参考)ヴァッジ国:ヴァッジ国(パーリー語 )あるいはヴリジ国は、
     古代インドの国名。初期仏教の聖典『アングッタラ・ニカー
     ヤ』の中で、十六大国のひとつに数えられる。首都はヴァイ
     シャリー。
     位置:現在のビハール州北部にあたり、南北にはガンジ
     ス川北岸から現在のネパールまで広がり、西はガンジス
     川を挟んでマッラ国およびコーサラ国と隣接していた。
     また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の州境付近
     を流れるマハーナンダ川近辺、あるいはビハール州を流れ
     るコーシー川までで、アンガ国と接していたと考えられてい
     る。
     民族:ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャヴィ族(離車族)、
     ジニャートリカ族、ヴィデーハ族など、8つの部族が連合し
     て形成していたと伝えられている。
     統治機構:ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サンガ」と呼ばれた
     代表議会の議長であったと考えられている。「ヴァッジ・サ
     ンガ」は、各地方からの代表者から成り、国政を取り仕切っ
     ていたものと考えられている。近年、このような古代インド
     の国家をガナ・サンガ国というようになっている。
     宗教:リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ教を信奉してい
     たが、後に仏教に改めたと、仏典は伝えている。
     実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャーリーを
     何度も訪問して説法していたし、仏教の修行者のための
     修行道場が設置されていたという記録がある。したがっ
     て、ヴェーダの宗教に並び、ジャイナ教や仏教も盛んで
     あったと考えられる。(Wikipediaより)