この様な姿は・・今も見られる。

 題:この様な姿は・・今も見られる。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1921年(大正10年)・・、
 この年に、ワシントン会議が開かれた。
 日本は、この会議で、徹底的に・・アメリカに追い込ま
れた。
 国際の会議という席で・・、
 世界の合議という形を作って・・、
 やっていることは・・教室で、一人のいじめられっ子が、
 数人のグループから、虐(いじ)められている姿と・・、
 まったく同じだった。
 国際会議の場であると・・
 公平な場の様に見えるが・・???
 一人を除いて・・他の皆が利益を得て・・、
 他の皆は利益を得ているから「ニコニコ」で・・、
 その様な状態で、多数決で決議すれば・・一人だけが不
利益のまま放置されて、決議されるという罠(わな)だった。
 それで、多数決なのだから・・公平なので、正義で・・、
『よいのだ』の姿だった。
 日本は、日露戦争以後、アメリカに追い込まれ続けていた。
 第一次世界大戦時には・・一時的に、日米は歩み寄った
が・・、
 1917年、石井=ランシング協定が締結されたが、アメリ
カは、日本の中国進出が嫌だった・・が、この協定で、満
州の日本の特殊権益を承認した。
 しかし、第一次世界大戦後に、日本は、戦勝国として領
有する地域が増えた。
 これを、アメリカは、快(こころよ)く思わなかった。
 拡大する自国(アメリカ)領への通路に、日本領がある
という形には・・させたくないとした。
 アメリカは、反対した。
 アメリカのごり押し意見が通り、「日本の委任統治」と
なった。
 そしてまた、アメリカは、日英同盟にも障害に感じた。
 日本が、日清・日露の戦いに勝利を収め、国の地歩を固
めて来たと同時に・・、
 アメリカも、ハワイを獲得し、フィリピンを領有し、地
歩を固めて来た。
 そして、それと同時に、イギリスの地位は、後退して行
った。
 イギリスは、この時期、この水域からイギリス艦隊を撤
収している。
 アメリカは、ロシアに対抗して出来た日英同盟を・・、
 ロシアが革命でなくなった後も、存続している事を・・、
 自国(アメリカ)を、対象にしているのではないかと思
えた。
 アメリカの猜疑心(さいぎしん)である、そして・・、
 日本の急拡大が気になった。
 アメリカは、利益誘導国家である、その為には言い方も
変える、手続きも変えたりする、その為に、道徳国家的な
事も言う、その為に平和愛好も言う、その根には、国益
求国家があった。
 そして、自国の正義は正義なのだ、何故かは、正義なの
だから正義なのだの正義を振りかざした。
 アメリカは、この1921年ワシントン会議で、日本を抑
え込みに掛かった。
 この会議で、日英同盟が廃棄された。
 日英の両国ともに存続を望んでいたが、国際会議という
作られた場で、当事者が存続を望んだが・・会議で廃棄が
決まった。
 この事は、この後、日本の孤立化が・・次第に・・強ま
って行き・・、やがて・・日本は・・ドイツとの同盟へ・・
追い込まれる道へと・・繋(つな)がって・・行った。
 また、この会議で、石井=ランシング協定が廃棄された、
 満州の日本の地位が剥奪状態となった。
 また、イギリス・フランス・オランダの権益には・・何
一つ手を触れられなかった。
 また、日本は、山東省青島も返還させられた。
 国際会議という席は、日本バッシングの席であった。
 そして、アメリカのハワイは・・防備を強化して良いと、
まったく公平性の無い、自分さえよけらば良いを、国際会
議という形をしつらえた中で、押し付けた。
 こんな自分だけ良ければ良いが、長く安定した世界であ
り続ける訳のない状況だった。
 アメリカの国際正義という名の御旗の下でのこれらは、
実際は、正義・公平からほど遠い・・ごり押し会議だった。
 アメリカのこの考えでの行き着く先の真の姿は、平和破
壊の姿だった。
 平和を逆のベクトルへ、世界を動かして行った事になる。
 この様な姿は、今も見られる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009