1942年8月25日に・・、

 題:1942年8月25日に・・、
...(悲惨な戦争をなくせないのでしょうか)
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1942年8月25日、日本軍増援部隊は、ガダルカナル島から
 の航空攻撃で、駆逐艦「睦月」、輸送船「金陵丸」が撃
 沈され、ガダルカナル島行きを断念した。
 日本軍の輸送作戦は失敗し、海戦は、アメリカ軍の戦略
 的勝利で終わった。
 南雲機動部隊の戦力では、米軍機動部隊で補強された戦
 線を破ることはできなかった。
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1942年8月31日、珊瑚海の哨戒を行っていた空母「サラト
 ガ」は、日本軍の潜水艦「伊26」の雷撃を受け損傷し、
 この修理には3ヶ月を要した。
 さらに、9月15日には空母「ワスプ」が、潜水艦「伊19」
 の雷撃により浸水と誘爆を招いて大破した。
 その後、「ワスプ」は、伊19の攻撃による被雷から約6
 時間後に沈没した。
 しかし、アメリカ海軍は、空母戦力を失うが、ガダルカ
 ナル島のヘンダーソン基地航空隊増援によって航空優勢
 を確保した。
 日本軍は、この後、駆逐艦および大発による陸軍部隊機
 動や糧秣輸送(いわゆる「鼠輸送」、「蟻輸送」)を行
 うようになった。
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1942年12月8日、ニューギニア戦線のゴナのバサブア守備
 隊が玉砕した。
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1943年1月2日、ニューギニア戦線でブナの陸海軍守備隊が
 玉砕した。すぐ国民に知らされなかった。
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1943年5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅した。
 大本営発表が初めて「玉砕」という言葉を使った。
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1943年11月、アジアの要人が、東京に集まり大東亜会議
 を開いた。
 米英に対する「道義の戦争」の意味付けが、集まった人
 々に対し話され、アジア各地の「自主独立」が正しいこ
 と、正義である事が話された。
 これは、重要な意義を、後世へ明示し残すという「意味
 ある公式の国際会議」だった。
 大東亜共同宣言が採択された。
 共同宣言には、「人種差別の撤廃」が記され・・、
 植民地支配の中の人種差別に憤りが訴えられており・・、
 また、西欧支配での秩序が作られ、その中で行われる不
 正に対し、糾弾の意思が表明されている。正義の主張と
 なっている。
 戦後、アジア各国が、解放されていくべき時代の・・あ
 るべき動向を示唆していた。正しい理念だった。
 日本には、徳富蘇峰、平野義太郎らの先人の、長い期間
 の、アングロサクソンによる支配と束縛からの解放、東
 洋の民の解放の声がすでにあり、高まっていた。
 また、すでに、日本は、ビルマ、フィリピン、自由イン
 ド仮政府の独立を承認していて、そして、大東亜会議が
 開催された。
 日本とアメリカは、角を突き合わしている。
 覇権をめぐる角の突き合わせでもあった。
 しかし、今・現代でも・・、
 太平洋をめぐって、似た様な、覇権をめぐるエゴとエゴ
 の衝突が・・、
 パワーとパワーの衝突が・・
 起きそうな・・流れの中にある。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
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