バス代を・・払っているが・・、真実は・・

 題:バス代を・・払っているが・・、真実は・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 ある日本の作家が・・若い時に、
 キリスト教聖職者に問うた話・・、
 その作家氏は・・
 「天国は必ずあると確信が持てますか?」・・と、
聞いたという。
 その時、この聖職者は目を閉じ、しばらく考えた後、
 「私はまだ行ったことがないので、はっきり言って、よ
く分かりません。
 だけど、私は、お客さんを乗せて走る天国行きのバスを
運転しなければならないんです。
 運転手が行き先も分からない、道も分からないんじゃ、
乗っている人は不安です。
 だから、私は毎日、自分に言い聞かせているんですよ。
 天国はあるんだ、この道は天国に通じるんだ、と」・・
と。
 作家氏は、この話に感動したという。
 一面、正直な話なのだが、・・しかし・・、
 これを読んで感じたことは・・、
 そして、この話を、よく考えてみると・・、
 自分は信じて居ませんが・・、毎日、「あるんだ」「あ
るんだ」と・・、
 『自分で自分に言い聞かせ』、『思い込ませ』、
 そして、お客さんを乗せているバスの運転手です・・と
言っている。
 そして、行き先は、『ある』という確信は・・持ててい
ません・・と、
 毎日、『ある』と思い込ませているだけなんです・・と、
 だから、お客さんは・・、
 バスの運転手さんを『信用して』乗って居るという・・
可哀想な・・お客さんとなっている。
 バスの運転手が、心の内を少しも明かせばいいものを、
不誠実にも明かさないで・・、
 そんなに自信が無いのか・・などと、言うかもしれませ
ん。
 お客さんは、何にも分からないで、
 そして、お客さんは、『すべてを任せている』・・、
 『運命を任せている』
 ・・・という図に・・なっている。
 このことの、事実関係から判断すれば・・、
 『詐欺的行為』となっている・・だましである。
 そしてまた、この運転手は言う・・、
 『バスに乗る人が居るから、天国はあるんだとし、この
道は天国に通じるんだとしているだけ』・・と、
 下駄を、『乗る人が居る』に預(あず)けている。
 乗った人に責任転嫁(せきにんてんか)している。
 卑怯(ひきょう)と言える話にもなっている・・
 本当は、そのバスの運転手・・、
 ほとんど、『あるとは信じていない』のを・・、
 『ある』という様な、その様な・・、
 振る舞いをする、ふりをしている・・のかもしれない。
 汚ないダマカシの一面が見えている。
 この『だまかしの聖職者が居る』から、騙(だま)され
る信徒が居るという関係になっている。
 そして、お客さんの信徒は・・その聖職者に献金支払い、
獲(と)られている。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
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