君子、危うきに近寄らず・・が、肝要・・

 題:君子、危うきに近寄らず・・が、肝要・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 本に・・・、
 パウロは、精神分裂だとの評判がたった・・とある。今
でいう統合失調症だが・・。
 現代科学でも、キリスト教の様な、性悪説の思考をする
精神疾患になると立証されている。
 本ブログにもそのことを既に記したが・・
 キリスト教は、科学的にも怪しい宗教なのだと立証され
ている。
 『君子(くんし)、危(あや)うきに近寄らず』が肝要
というところだ・・、
 何しろ、この様な人・パウロが・・作ったキリスト教を、
 「ここは、こうだから、ああだ」とか・・、
 「あそこは、ああだから、こうだ」とかと・・やらない
と収まらない、ダメだという・・。
 人生の貴重な時間を使うには、もったいないという話に
帰結する。
 また、パウロは、ギリシャ近くの、「トルコの国のタル
ソという町で生まれた」。
 彼は、ユダヤ人なのでユダヤ的な面を持っているが・・、
 そして、彼は、ユダヤ教徒パリサイ派だったが、律法
遵守のパリサイ派であるが・・、
 一方、ギリシャ近くの生まれ育ちで、ギリシャのヘレニ
ズム的な面をも持っている。この二面性が問題の根にある。
 故に、その様な面から・・ユダヤ民族の共同体の法とい
う大切な律法であるにもかかわらず・・、
 彼は、その律法に違和感を持った・・と言える。
 また、パリサイ派で・・律法遵守に疲れた面もあったと
言える。疲れたからって民族の決まりだったが・・、
 それで、ユダヤ民族の共同体の守るべき律法であったが、
簡単に容易に逃げることができたのだと言える。
 だから、簡単に、パウロは、(「ガラテア信徒への手紙」
3・12)で、「律法は、信仰のよりどころとしていません」
と、神の与えしという律法をダメだと棄てた。神も立場が
ありません。
 ユダヤ民族だけの意識下にあったパウロであり、
 ユダヤ民族共同体だけの律法だとはいえ、
 キリスト教自体が、その様なユダヤ民族の意識下の宗教
だとは言え・・、
 『永遠の生命は、律法の行いによって与えられる』・・
としているのにだ。
 キリスト教は矛盾だらけだから、どうという事はないが
・・、いつもの事だが・・。
 キリスト教に言える事は、原理主義的な理解・解釈から
歩を下げるべきである。
 その観点から、絶対的に凝り固まった『神の義』を前面
に出した、絶対の征伐理論から、謙虚に歩を下げるべきだ。
 キリスト教の征伐理論は、いかなる形においても間違っ
ている。
 今まで、数知れずのあまりに多くの無念の死の方々へ懺
悔し、悔い改めよ。二度とキリスト教の教理から、無残な
死を伴う殺戮の行動は起こさないと誓いなさい。
 そしてまた、キリスト教の聖職者の方々は、正業に就き
なさい。社会に尽くしなさい。陰に隠れる生活はお止めな
さい。優秀な方々は、特に、惜(お)しいと感じる。
 また、キリスト教が、根本的に宗教として統合された世
界宗教になり得ない論拠の一つが・・、
 一神教だとしながら、一神教になり得ず・・、
 キリスト教のすべての歴史を見ても分かる通り・・、
 そのすべての歴史において、悶(もだ)え続け・・、
 今・現代においても、その悶えが終わっていない、続い
ている事にある。
 キリスト教は、信仰の中心の神を『いじくり回し過ぎる』。
 そしてまた、ローマ法王の発言にみる様に・・、
 ローマ法王が、銃弾の危険から危うく逃れ、命が助かっ
た時に・・『助かったのは、黒マリア様の御蔭だ』と言っ
た。
 『キリスト教の神の三位一体神の御蔭だ』と言わなかっ
た。ここに、その問題点が象徴的にある。
 だからと言って、この三位一体神も苦肉の策だった。
 マジックの様にでき、作り、そして、一神だと思い込ま
されている形だ、神だ。
 事実は多神だ・・しかし、『一神なんだ』と言わされ、
言っている、思い込まされている形だ。
 そして、そこに、ローマ法王が、三位一体神とまったく
関係ない神を口にした事が、キリスト教の神問題を象徴し
ている。
 キリスト教には、一神教は無理なのだ。
 実質、多神教なのだから・・、
 多神教が・・相応(ふさわ)しいのだ。
 キリスト教のすべての歴史が・・多神教の歴史だったの
だ。
 天使の一例もまたそうだ・・、
 まったくの他宗教のものだった天使を・・取り入れて・
・、
 キリスト教は、何しろ、色々なものを他宗教から取り入
れる宗教。それが宗教癖。
 この天使の取り入れも、収拾がつかなくなって、今、「
限りなく神に近い天使」を・・登場させている。
 三位一体神の話と同じ、その三位一体神の話も理屈を作
って治めているが、この様な事ばかりしている。
 実態は多神教なのだからそこに変な軋轢(あつれき)が
生じている。何ら収まっていない。
 赤を、いろいろ言って、黒と言っても、無理なのです。
 人類は救済できませんし、世界宗教ともなり得ません。
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