本当に聞けるなら・・キリスト教の神から聞いて、知ってて下さい。

 題:本当に聞けるなら・・キリスト教の神から聞いて、知ってて下さい。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の神の下に・・キリスト教聖職者が居る・・、
 キリスト教の聖職者は、お手盛りで、その地位を、立場
を・・作っている。
 そして、キリスト教聖職者の下に置かれた「キリスト教
の信徒」の方々・・、
 その信徒の方々へ、キリスト教聖職者が、キリスト教
神の意思を伝えるという組織・序列・ヒエラルキーが、キ
リスト教の立場の・・関係図・・、
 そして、キリスト教の神は、何でも知っていて、何でも
できる・・としている。
 だから逆に・・人間は、何にもできないし、そんな状態
ではないのだと・・、キリスト教はしている。
 因(ちな)みに、キリスト教聖職者は人間で、半分、神
だとかではなく、やはり人間で、何にも知らないし、何も
できないという人間で、その範囲では、信徒と同じ類いと
している・・
 その様な立場の・・キリスト教聖職者が言う・・何でも
知っている神の様に・・、
 「人間は、キリスト教の神の様に無から有を生み出すこ
とはできない」・・と・・、
 そして、キリスト教聖職者は、色々と神の代弁者だとし
て、話す・・が・・、
 神の代弁者として・・話すが(神の下に居る者だとして)
・・、だが・・、
 結局は、人間として知り得たこと・・のみ・・を・・、
 人間として・・感覚で感じたことを・・その人間として
得たことを材料にして話すという・・人間の類い・・とな
っている。
 そして、この人間として感じたこと、このキリスト教
職者は、自分の五感で感じられた事が『正しい」として、
古代にキリスト教が出来た時には無かった、この今・現代
キリスト教聖職者の独自の、また、現代に生きている事
によって知り得た知識も神のものとして、自分で作って出
来た自分のキリスト教を宣(のたまう)。
 「人間は無から有は創り出せない」・・と・・、
 ならば・・、その「無」なのだが・・、
 まず、「無」の世界は・・存在しないと現代科学は示唆
する・・のです。
 人間の・・キリスト教聖職者は、その様に感じて、神の
代弁者だ・・神の意志だ・・として、そう言うが・・、
 1例として、物質を例にすると・・、
 今、最先端の現代科学は・・、人間に認識できる物質は、
何と・・3割なのだと言う。
 人間の・・キリスト教の聖職者の方々は、その様な事を、
キリスト教の神から聞いていましたか? 聞いていなかっ
たでしょう・・、驚かれたでしょうと、言いたい・・です
 実に、7割という多くの物質が、このキリスト教聖職者も
含めて・・認識できないのです。
 キリスト教聖職者は感覚で思ったことを言いますが、人
間は、物質に取り囲まれて、その物質のすべてが認識でき
て居ると思って居るのは・・錯覚なのです。
 「ない」と思っているものが・・「ある」のです。
 無だ、有だ・・というのは、言葉の遊びになっているの
です・・、
 『認識できない世界』の・・物質だけでもこの始末、
 すべて分かった様な口を聞くキリスト教聖職者という図
となっています。
 この様な、狭い領域だけでも、分かった様な事を言って、
キリスト教徒の方々を繰(く)る操(あやつ)るキリスト
教聖職者・・
 まったく無責任、極(きわ)まる結果になっていると思
います。
 こんなキリスト教聖職者に繰られていて、幸せになれる
はずはありません。
 物質だけの「有る」という話と、「ない」という話でも
この様なことなのです。
 物質以外の話に至ると、神の代弁者のキリスト教聖職者
の方々は何も知らないと言えてしまうことになります。
 本当に聞けるなら・・キリスト教の神から何でも聞いて、
知っていて戴きたいと・・思います。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009