やはり、根幹に流れているDNA(遺伝子)は変えられない

 題:やはり、根幹に流れているDNA(遺伝子)は変えられない
...(悲惨な戦争をなくせないのでしょうか)
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 キリスト教の生まれた地は砂漠の地・・、
 その地は、生憎(あいにく)の、豊かな自然、豊かな農
耕地には恵まれるという様な地ではなかった。
 「飢餓と背中合わせの地」だった。
 そして、古代から続くこの環境によって形成されたDN
A(遺伝子)は変えらることはなかった。
 故に、その地に生まれた宗教も・・豊かな食糧を求め、
 そして、付随する、そしてまた、関する記述で満ちた。
 食糧を求め、生きることを求める宗教だった。
 キリスト教旧約聖書にも・・、
 「僅(わず)かな食べ物で、多くの人々を養ったという
物語が多く、いくつもある」・・。
 それが・・、その地の人々の「願望・希望」であった。
 良く知られているものの1つが、予言者・エリアの・・
 (「列王記上」17・8〜16)で・・、
 サブレタという地の一人の寡婦(やもめ)が、
 (戦乱の多い地であるので、寡婦が多い社会だった)
 予言者のエリアに食べ物を欲しいと言われたが・・、
 「一握りの小麦粉」と「わずかな油」しかないと答えた。
 そして、エリアの言う通りにパン菓子を作ってみると、
 いっぱいのパン菓子ができ・・、
 彼女も・・エリアも・・彼女の家の者も・・
 お腹いっぱいに・・、そして、何日も・・
 食べることができました・・という話。
 もう1つ話をすると・・、
 予言者のエリシャが・・
 (「列王記下」4・42〜44)の話で・・、
 ある一人の男が、エリシャの命じる通りにしたら・・、
 僅かなパンで・・100人もの人々が・・食べ残すほどの
量になったという・・
 (この地の贅沢は、食べ残すほどの食料に接する事が出
来ることだった)。
 これは、民の「願望」であった。
 この地の・・多くの・・多くの所で・・多くの人々によ
って・・語られた事で・・あった。
 腹いっぱいに・・食べられたらいいね・・と・・。
 民間説話として・・、すでに・・多くあった。
 新約聖書にも・・、この類(たぐ)いの話が多い。
 そして、やはり・・、この飢饉の地の・・逃れることの
できない飢饉に・・、説話の上だけでも逃れたいと・・、
 説話上の話が・・、新約聖書のイエスの話として・・多
くある。
 だが、話は同じ話であるのだが・・、話が、旧約聖書
り大きくなっている。
 「イエスが、5000人もの人々を食べさせた」。
 「それも、腹いっぱいに」、
 「食べ残した、残りものも、籠に、12も、いっぱいにあ
った」・・と。
 イエスが、旧約聖書の予言者たちより・・偉大なのだと
主張したかった・・。
 イエスの業(わざ)だ・・という。
 旧約聖書預言者たちより・・偉大な業をするイエス
という・・。
 しかし、この様なやり方で・・偉大さを示すやり方・内
容は、すでに、旧来からある事・・。同じ路線・・。
 ただ、数を大きくして驚かせているだけ・・。
 これで・・「イエスの業」を訴えたいのだろうが、にわ
かに信じられないのが普通だろう。大風呂敷が、タダ広が
ったという感じで、キリスト教は、この類いの「驚かせる
話の作りが多い」。「護教論的思考」と言う学者もいる。
 (マルコによる福音書)では・・、
 イエスの弟子たちが・・、
 イエスに・・「わたしたちが、200デナリオンものパン
を買って来て、みんなに食べさせるのですか」・・と、
 イエスに、非難がましく・・聞き返していて・・、
 イエスの立場は、まったく、なくなっている。この様な
話もある。
 弟子たちは、まったくイエスを理解してない。
 師と仰がない態度をとる弟子たち・・。
 さすがに、護教的な「マタイによる福音書」では・・、
ここを「書き換え」ている。
 (キリスト教聖書は、この護教的な「マタイによる福音
書」が心地がよいので・・、
 護教的立場から・・嘘を書いているマタイだが・・、
 そして、「マルコによる福音書」より、後に書かれた「
マタイによる福音書」であるのだが・・、
 そしてまた、「マタイ」は、「マルコ」を参照して書か
れているという動かぬ事実があるのだが、
 順番を入れ替えて・・、
 「マタイによる福音書」を、「マルコによる福音書」よ
り前に出して、掲載している。
 福音書においても、聖書という宗教の根幹においても、
差別行為をする・・キリスト教である)。
 ここには、本来、責任性とか、人間のなすべきこととか、
 人間の主体的行動のあるべき姿などを書くべきであるの
に・・、
 「ただ、イエスの超自然的な力の誇示という点だけに止
まっている」。
 信仰に益する話となっていない。
 ただ、神話的な図式へと、それのみへと、話は展開して
いる。
 キリスト教は、この様なパターンが多い。
 実は、このイエスの話で、イエスが、5000人に配ったと
いうのは、『何と、男だけだった』。
 差別されている女性が居るのです。
 この話が隠されているのです。
 何しろ、キリスト教は、女性を差別し、蔑視する性癖の
ある宗教なのである。
 女性蔑視を隠し、必死に、キリスト教プロパガンダ
(嘘宣伝)をし、隠しているが・・。
 そしてまたまた・・この話も、時代を経るに従って・・、
 キリスト教の都合のよい話に、どんどん変えられて行っ
た。
 この様な、数々の作った話で「マインド・コントロール
がなされ、判断力が無い幼児は、特に、洗脳され、その様
な人々へ対して、宣教が下る。
 現代にもある、「戦争へ繋(つな)がる宣教」が・・。
 キリスト教の宗教が絡(から)んで、判断力の鈍(にぶ)
った人々が、近年も、戦争への道を歩んだ。
 戦争に、何ら関係のない人々が、大勢、殺された。
 アフガニスタンでは、100万人の子供を含む人々が、亡
くなっている。
 民間説話的な話に踊らされた結果がこれだ・・。
 神が顕現したと・・、また、「信仰の薄い者よ。なぜ、
疑るのだ・・」・・と脅(おど)かされたりもする。
 「神の御旨に」と、多くの人々が亡くなったキリスト教
十字軍の行為を、ローマ法王は、『間違いだった』と「反
省のミサを行った」・・が、
 キリスト教の根幹の心底に流れている精神に影響されて、
同様な間違いは現代も行われている。
 (参考)やも‐め【寡/寡婦/孀/鰥/鰥夫】 1 (寡・
  寡婦・孀)夫のいない女。また、夫を失った女。未亡
  人。後家(ごけ)。寡婦(かふ)。 2 (鰥・鰥夫)妻のい
  ない男。また、妻を失った男。男やもめ。やもお。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA