子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その4)

題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
      (その4)
[ 関連事項 ]
(1)・アメリカ人は原住民のインディアンを、南米などで殺
戮の限りを尽くしたキリスト教徒スペイン人の様に奴隷化しよ
うとした。そして、殺戮した。
 しかし、インディアンは狩猟民族で農耕的ではなかった。
 また、頑強な諸種族の抵抗があった。
 また、奴隷化された者への逃亡の援助が絶えず繰り返された。
 それでも、インディアンの奴隷化は熱心に行われ、サウスカ
ロライナのインディアンの15%が奴隷だった。
 新しいキリスト教の国を作ろうとアメリカに移住してきた当
初、アメリカ人は、あまりにも過酷な状況で餓死者が続出して、
植民をあきらめた頃、生活の仕方を先住民インディアンに教え
てもらった。
 その恩のある先住民インディアンを奴隷にするとは? 人の
形をした家畜にするとは? 
 また卑劣にも、その後に、維持費が安いと黒人の方たちを奴
隷としてアメリカに導入した。
 一生涯が奴隷であり、子供が生まれれば自分の奴隷とした。
 キリスト教は「人間は生まれながらに原罪がある」という考
え方・教義であるが、生まれた奴隷の子供は奴隷だと考え、
自由にはしなかった。
 肌が黒い黒人奴隷は逃亡してもすぐ見分けられ捕まった。
 アメリカ白人は、何ら法律上の権利を黒人奴隷に、一切、与
 えなかった。
 白人は、黒人の方たちを「本来的に奴隷に適する」と言い切
った。
 キリスト教の聖書は教える、免罪符の「神の義がある」とし
て、キリスト教の神が隣国を攻め込ませ、殺戮の限りを尽くし、
隣国の富を奪い、キリスト教の神は「奴隷にせよ、奴隷にせよ」
と絶叫する。
 キリスト教の教義ゆえに、人間の歴史に連綿と忘れられずに
伝えられ、奴隷制が人々の心に常に想念させられ、洗脳されて
きた。
(2)・アメリカ合衆国に来た「最初の黒人奴隷」は、1619年
8月、1隻のオランダ船が20人のアフリカ黒人を陸揚げして売り
渡したときにはじまる。
 初期のイギリスからの植民者は、冬を超える事に苦労した。
 特に、1609〜10年の冬はとりわけ厳しく「餓死の時期」と呼
ばれ、当時、500人に達していた植民者は60人に減って、生存
者の多くが植民を断念しようとしていた。
 この窮地を救ったのは「インディアン」だった。生活の仕方
を植民者は教わった。
 また、煙草の栽培も彼等から教えられた。
 当初、植民者たちが求めたものは、南米などで悲惨な行為を
したスペインの征服者と同様、金銀だった。
 しかし、金鉱は、この最初の植民地・ヴァージニアには発見
されなかった。
 後に、窮地を救った煙草栽培で、労働力を求めるほどの規模
になった。黒人輸入でその労働力を求めた。
(3)・アメリカは、イギリスから独立を勝ち取った後、合衆
憲法をつくるための会議を秘密会議とした。
 それは、アメリカの支配者層の利益を守るためだった。
 より一層の革命の進展を恐れたのである。
 秘密の憲法制定会議の出席者の大部分が有産者階級で、合衆
憲法はこの支配階級の利益の産物で、「大衆の犠牲」の上に
生まれていた。
 その犠牲の1つは、「奴隷」という言葉こそ用いられなかった
が、「その他のすべての人びと」という言葉で表現された70
万人の黒人奴隷だった。
 キリスト教徒のピューリタンが理想のキリスト教国家を建設
しようと行動した結果が、これであった。
 また、広大な土地を奪われた先住民インディアンに対しても
何らの配慮がなされていなかった。
 すべてキリスト教が教える「自分たち隣人だけの利益」を求
めた。
 合衆国憲法は、はっきり「黒人は人に非ず」と宣した形にな
っていた。非民主主義的な奴隷制憲法が保障する形になって
いた。
 奴隷制度の都合のよいところを自分の利のみで採用し、奴隷
制度を進展させる憲法の形になっていた。
 「黒人は人に非ず」という言葉は、キリスト教の教義上から
来ていて、キリスト教聖職者もこの言葉を残している。 
(4)・アメリカのイギリスからの独立する意義の一つに、「
国家とキリスト教会を分離した近代的民主共和国を造り上げた
い」という意思があった。
 そして、アメリカの独立宣言の草案の中で、独立宣言起草委
員のトーマス・ジェファーソンは言う、「イギリス国王(ジョ
ージ3世)は、人間性そのものに反する残忍な行為を行なってい
る。
 いまだかつて彼に逆らったことなどない僻遠の地の人々(ア
フリカ黒人)の、生命と自由という最も神聖な権利を侵犯し、
彼らを捕えては西半球の奴隷制度の中に連れ込んでしまうか、
あるいは運搬の途上にて悲惨な死に至らしめた。
 異端な力によって行われて来た恥ずべきこの海賊的行為は、
キリスト教徒たる大英帝国の国王によってなされて来た行為で
ある。
 人間が売り買いされなければならない様な市場を、あくまで
も開放しておこうと決意して、この憂うべき取引の禁止、ない
しは、制限を企画したあらゆる法律の成立を妨げるために、彼
等は拒否権を行使してきたのである。・・・」。・・・アメリ
カも最初は美しいことを言っていた。
 しかし、この先、やることはやはり黒人の方達を虐げる行為
だった。イギリスと同じことを、それ以上の規模で行った。