そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇

題: そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇
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 キリスト教の底流にある基本的考え方・教義「異教徒・異邦
人への見方や考え方」。
 それは、「自分たちと違う神を信仰する民。それは異質であ
り、受け入れられない」という。
 そして、キリスト教の教義「異教徒は殺せ」の教義などで異
教徒・異邦人を否定する。
 まず、その感情が最初に出て来る宗教に、アメリカに渡った
入植者(侵入者たち)もあった。
 キリスト教のこの教義が心底に刷り込まれていた。
 入植当初は、厳しい北米の冬の気候に、餓死が相次ぐような
辛酸の中に居た入植者たち。
 救ったのは先住民のインディアンの方々だった。
 越冬の仕方を教えて貰(もら)い、トウモロコシの栽培法な
ども教えて貰い、細々でもアメリカに留まる事が出来る様にな
った。
 当初は、この様に、入植者たちと先住民のインディアンの方
たちは共存していた。
 しかし、入植者たちの意識は、「定着し、土地を所有する」
であり、インディアンの方たちには「土地は皆の刈り場」であ
り、「皆の耕作地」の意識で、私有するという観念がなく、入
植者(侵入者)とインディアンの方々との間には土地に対する
考え方・観念の違いが存在した。
 インディアンの方々は、「どの土地にでも狩猟や耕作をする
利用権」を求めた。
 インディアンの方々は、昔からの、祖先の時代からの、生活
の基盤が脅(おびや)かされた。
 しかし、入植者による浸食される土地が拡大して行った。
 バージニアでは、ピューリタン入植の年からわずか2年の後
1622年に、インディアンの方たちは止むなく折り合えない
事態を訴える行動に出た。戦いになった。
 ニューイングランドでは、1637年に、入植者(侵略者)たち
の軍が、実力行使の攻撃をインディアンの方たちへ仕掛けた。
 入植者とインディアンの方たちとの戦いは、だんだん熾烈を
極めて行った。
 使われる武器の殺傷能力が大きくなっていった。
 当然、持ち込んだのは入植者のヨーロッパ人キリスト教徒た
ちだった。
 ライフル銃は射程距離が一段と高く悲惨な殺戮状況となった。
 また、戦術も一斉射撃方式を入植者たちの軍はとり、殺戮の
プロの前にインディアンの方たちは曝(さら)された。
 インディアンの方たちは、弓矢・手斧の類いであり、そして
、自分たちの死、命の代償として得たわずかな銃だった。
 当初の入植者とインディアンの方たちとの共存の心はもう遠
くどこかへすっ飛んだ状況であった。
 バージニア議会では「先住民との共存はあり得ない」と決議
した。
 民兵を組織しインディアン掃討作戦に乗り出した。
 悲惨な非人道的な攻撃・戦いだった。
 襲撃した部族か否かに関係なく、インディアンなら誰かれ構
わず、無差別攻撃が強行された。
 この様な行為が、双方に深い憎悪の感情を更に増幅した。
 悲惨な戦いは繰り返された。
 入植者側は、軍隊の力を背後に持って、先住民・インディア
ンの方たちの支配地域の土地を植民者に開放して行った。
 先住民を追放するという意識と「それを当然視する感情・増
上慢」が行動の基本にあった。
 悲惨な行為が継続して行われた。
 ニューイングランドの場合は、インディアンの方たちの女性
や子供が多数殺されるという悲惨さが増した行為が行なわれた。
 この戦闘で、入植者側に着いた先住民インディアンの兵は「
あまりにも凶暴すぎる」と叫んだ。
 また、「あまりにも沢山の人たちを虐殺し過ぎる」と嘆いた。
 入植者のヨーロッパ人キリスト教徒たちは、先住民インディ
アンの方たちを「悪魔」と呼んだ。
 「サタン」と呼んだ。
 「(キリスト教の)神の名によって撲滅せよ」と叫んだ。
 キリスト教聖職者のコットン・マザーは、「この日、われわ
れは600人の異教徒(インディアンの方たち)を地獄へ送った
」と言い、神に感謝した。
 また、戦闘も拡大の一途、戦争で、ニューイングランド全域
の戦い(フィリップ王戦争)となり、入植者側は、志願兵を募
(つの)り、悲惨さがさらに増した殺戮行為が行なわれた。
 この時、入植者たちは「アメリカ最強のインディアンのリー
ダーを殺した、掃討した」と喜んだ。
 掃討した将軍を「掃討者」と称賛し、英雄視した。
 これ等の行為の底には、キリスト教の教義「(キリスト教の)
神の義によれば、人を誅してもよい」の意識があった。
 この戦争中、インディアン側に捕虜となった植民者側の白人
女性(メアリー・ローランソン夫人)は、3カ月後に釈放され、
体験を語ったが、インディアンの王の息子のためにシャツや帽
子を作ってと頼まれ、作ると、きちんとお礼も払って戴いたと
言い、また、タバコも勧められ、(入植者側で言われている様
な)残虐さはまったく感じられなかったと語った。
 対比して想念(そうねん)されるのは、先住民を野獣に例え、
それが常道の入植者のキリスト教徒側、また、「狼やライオン」
と呼び、「害虫の絶滅だ」と呼んだ。
 そして、言った「この地に根付いた神の教会の繁栄を妬(ね
た)んだサタンの誘惑に」動機づけられていると言った。
 インディアンの方たちの行動に対して卑下し、蔑視して言い、
我々は、キリスト教の信仰に基づいた正しい行為なのだと言い、
先住民の排斥は合理だとした。
 先住民は「野蛮人」「悪魔」として蔑視する感情が定着され
ていた。
 入植者間では、ヨーロッパ人どうしやキリスト教徒同士の場
合には、ある一定の枠内の戦争「限定戦争」の考えがあるが、
「野蛮」とされた人々(インディアンや異人種)に対しては限
定のない「無限定戦争」を当然視し、是認した。
 その戦争の悲惨さに対しても良心に咎(とが)めを感じない
と言う。
 まったく、キリスト教の教義に沿った意識のもとにあった行
為であった。
 死者の比率に関しても、インディアンの方たちが入植者より
「5倍」の方たちが亡くなるという劣悪な戦争を強いられてい
た。
 当然視された非人道の哀しい戦いであった。
題: そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇(完)