汚れからの「まったくの解脱」 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1」
題 : 汚れからの 『まったくの解脱』
以下は、You Tubeを聞き書きしたものです。
何度も何度も、映像を止めたりして、文章化していきました。
そして、聞き取りにくいところなど何度も聞き、また、種々調べ
たりして完成しました。
題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1
映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたとされる。
ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を登る
五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、どの様
に向き合えば良いのでしょうか。
およそ2500年前、その問いに一つの答えを出した
人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。
釈迦。仏教の開祖)。
人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
ナマステ。ナマステー。
(遠くから、経を上げる声が聞こえる)。
(参考)ナマステ: サンスクリット語、インドやネパールで
交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、そして死。
人生は苦しみに満ちている。
仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」を説き
続けました。
(キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、さらまん
がっちゃーみ」。・・・
「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。
初めて訪れました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山に滞在し
ていた仏陀は、そこから山を降りて、そして、大変困難
な旅、ガンジスを超えて、北へ北上するという、6ヶ月・
数百キロにおよぶ旅に出発する訳です。
そして、その最初の出発点がこの霊鷲山。
一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、大変
困難な旅に出発する、その最初の動機は何であったんだ
ろうというふうに勝手に想像するんですが、人間という
ものは、ある時期に達すると、自分の人生というものを
振り返ってみながら、そして、その自分の人生の締めく
くりという様なことを 否でも応でも感じない訳にはいか
ない訳ですね。
自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死を迎える
死への旅である、そして、最後の旅である その仏陀の
死の旅の足跡を、自分自身で歩いてみるということを自
分の人生に重ねてみますと、何とも言えない不思議な感
じがします。
(霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の旅にあっ
た仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ちます。
それが最後の旅になりました。
苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いかに老いを
受け入れ、病(やまい)に耐え、そして、どの様に死を
迎えたのでしょうか。
およそ2500年前、釈迦族の王子として生まれなが
ら、出家し、苦行のはてに悟りをひらいた仏陀。
その教えは、時を越え、多くの人々の中に広まって行
きました。
人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向きあうの
か。
仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴史でもあ
りました。
21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多くの苦しみ
を抱いています。
その中にあって仏教は何をなし得るのでしょうか。
シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をたどります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた仏陀の生
涯。しかし、その晩年については克明な記録が、いくつ
かの経典として残されています。
大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記されており
ます。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟子達を集め、悟り
に至る道について次のように説きました。
戒律と共に修行して
完成された精神統一は
大いなる果報をもたらし、
大いなる功徳がある。
精神統一と共に修養された智慧は、
偉大な果報をもたらし、
大いなる功徳がある。
智慧とともに修養された心は、
もろもろの汚れ、すなわち、
欲望の汚れ、
生存の汚れ、
無明の汚れから
『 まったく解脱 』 する。 (つづく)