教えを請うものなら誰であろうと・・ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」

題 : 「教えを請うものなら誰であろうと・・」 
       五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」
         (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなったクシナガラ
     までの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五木寛之さんが、
     辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。

      仏陀は、ナーランダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集まってき
     ました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている人たちまで、
     さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分け隔てなく、
     法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教の旅として
     始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な風景です
     ねー。
      木があって、なだらかな丘があって、その向こうに 
     また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり 腰掛けたり、
     子供達が走り回ったりしていますが、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなんだろうと
     思います。
      『ナマステジー。・・ナマステジー
      (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中にあるのは
     仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー
      あのーチョット伺いますけれども、この塔の中にある
     仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん:   何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、もっと昔
      ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。
      ほー、この丘の上の小さな祠の中に、・・・いやー、
     まさしくこれは仏陀の坐像です。
      ほーっ。・・・イヤー驚きました。
      素晴らしい仏像ですけれども、相当古いものだと思い
     ますが、とにかく立派なのですよね。
      シルエットといい、バランスといい それにしても、
     この右手とお顔の損傷というのは実に生々しい。
      インドの歴史のありようを感じさせてくれる様な気が
     します。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、ある日、
     弟子のアーナンダに こう告げます。
      『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけをだずさえて
     パータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつき従って
     いました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
            私は仏法に帰依します。
            私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏教修行者の
      集団。僧侶の集団。広義には、在家を含む仏教教団
      全体をいうこともある。

      和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およそ90キロ
      の道のりです。
映 像:  (悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さん)
                              (つづく)