(増補版)437E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年12月〜1886年12月)

題:(増補版)437E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年12月〜1886年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1886年12月1日、警備隊条例が公布され、対馬に警備隊が設
 置された。
  「警備隊条例」が公布されて、まず、対馬警備隊が設
 置され、
  そして、順次、小笠原、佐渡隠岐、大島、沖縄に警
 備隊を設けて行った。
  警備隊区(けいびたいく)というものを設け、
  警備隊区は、大日本帝国陸軍の陸軍管区の一つで、主
 な離島防衛のため配置されたもので、対馬、小笠原、佐
 渡、隠岐、大島、五島、沖縄の警備隊管轄地(予定地)
 に設置した。
  対馬のみ、警備隊区司令部を有した。

1886年12月3日、日本の巡洋艦「畝傍(うねび)」が、フラ
 ンスで建造され、日本へ回航中、
  12月3日に、シンガポール港を出港して、まもなく消息
 を絶った(12月2日説あり)。
  この巡洋艦は、1883年度に、フランスへ発注された。
  この発注は、海軍卿・川村純義により出された軍艦船
 増強の建議により、中国との軋轢の中での防備での発注
 だった。
  1884年5月27日に、起工し、
  1886年10月18日に、就役した。
  そして、畝傍は、1886年明治19年)10月19日に、フ
 ランス人艦長ルフェーブルの指揮下、北フランスのル・
 アーヴルから日本へ向けて出港した。
  しかし、寄港地シンガポールを出港後、南シナ海洋上
 で行方不明となった。
  消息を知る手がかりは全くなく、謎の消失となった。
  全乗客乗員計90名の消息は未だ不明。
  この原因として、艦の上部がトップ・ヘビーで、復元力
 が不足するという、フランス艦伝統の欠陥まで併せ持っ
 ていたとされている。
  さらに、三本マストに加え、過大な武装を搭載したた
 め、さらのトップ・ヘビーとなり、復元力不足がさらに
 増大していて、
  そのため、南シナ海で、設計の想定外である台風に遭
 遇し、転覆・沈没したのではないかとされている。
  また、急に舵を切ると、艦が大きく傾斜し、そこに横
 波を受けると復原力不足から一瞬に転覆するという危険
 性もあった。
  しかし、漂流物は何も見つからなかったため、清国に
 奪われたという説も出て来た。
  青山霊園に記念碑がある。
1886年12月3日、帝国陸軍が、対馬分遣隊を改編して、「対
 馬警備隊」を置いた。
  1903年明治36年)4月14日、「対馬警備隊司令部条例」
 が制定され、司令部が、長崎県対馬国下県郡鶏知村に置
 かれた。
1886年12月3日、ピストル強盗が逮捕だれた。
  未明、東京市日本橋区馬喰町(現=東京都中央区日本
 橋馬喰町)の商家に、清水定吉が押し入り、短刀で脅し
 たが金を出さなかったので、ピストルを一発はなち、家
 人に負傷させ、金を奪って逃走した。
  目撃した車夫が、交番に知らせ、浜町(現=日本橋
 町)で不審尋問した巡査が逮捕した。
  1882年から、覆面をしてピストルを使用し、80件以上
 の犯行で5人を殺害していた。
  日本最初のピストル強盗。
  12月3日、4年間で5人を殺したピストル強盗清水定吉
 逮捕された。後死刑。
1886年12月8日、ノルマントン号事件判決
  横浜英国領事裁判所が、ノルマントン号船長ドレイク
 に、禁固3ヶ月の判決を下した。
  これを受けて、日本国内世論は、猛烈な非難を浴びせ、
 条約改正の世論が高まった。
1886年12月11日、西村茂樹(にしむらしげき)が、日本道
 徳論を講じた。
  日本道徳論は、西村茂樹の著で、1887年に刊行してい
 る国家主義思想の書。
  国家の根本は、制度・法津よりも、国民の道徳観念に
 あるとし、
  西欧心酔の風潮に反対して、儒教道徳の興起をはかり、
 日本講道会(前身は東京修身学社。のちに日本弘道会と改
 称)を設立した。
  西村は、1886年12月11日、17日、26日の3日間にわたり、
 東京神田一ッ橋外の帝国大学講堂で、朝野の名士・公衆
 を集めて講演し、人心を戒めた(日本道徳論)。
  国民の品位・品質をつくるに必要な徳目として勤勉・節
 倹・剛毅・忍耐・信義・進取・愛国心天皇奉戴の8条をあげ、
  法や制度のみに基づくことのない国民像の指針を提示
 した。
  そして、これを、翌年・1887年4月に出版し、大臣以下
 諸知人に贈与した。
  文部大臣の森有礼(ありのり)はこれを読んで、大いに
 賛成した。
  しかし、総理大臣・伊藤博文(ひろぶみ)は、新政を誹
 謗(ひぼう)するものとして怒った。
  そして、文部大臣を詰責(きっせき)した。
  森は、秘書官をして新政に害あると思われる条々を摘
 出せしめ、西村(泊翁)に改刪(かいさん、文章の字句を
 削ったり、直したりすること)を求めた。
  泊翁は、むしろ絶版とするほうを選んだが、偽板をつ
 くって売る者がいたので、篇(へん)中の文字を改めて公
 刊した。
  これが、『日本道徳論』第2版。
  「皇室の尊栄を増し国民の幸福を長ぜんことは、道徳
 を棄(す)てゝは他に求むべき者なかるべし」という信念
 から説かれた。
1886年12月13日、帝国大学臨海実験所が設立された。
  神奈川県三浦郡三崎に、日本最初の臨海実験所が開設
 された。
  箕作佳吉(みつくりかきち、動物学者、理学博士、東
 京帝国大学理科大学・動物学教授)が、入船の幕府船番
 所跡の敷地に、木造の研究棟を立てたのが始まりで、
  基礎生物学の研究教育施設として、世界に先駆けて設
 立された。
  生物科学の研究教育において、数多くの業績を残し、
 現在も遺伝学、細胞生物学など様々な研究教育活動に活
 用されている。
  因みに、箕作氏は、「真珠王」こと御木本幸吉に対し
 て真珠の養殖が学理的に可能であると助言した。
  お蔭で、日本の外貨獲得に大いに貢献した。
  また、カキ養殖にも助言するなど、日本の水産事業に
 多大な貢献をした。
  華々しい栄典の栄誉の数々を受けている。
  1883年(明治16年)2月16日 - 正七位
  1886年明治19年)7月8日 - 従六位
  1892年(明治25年)2月29日 - 正五位
  1894年(明治27年)12月26日 - 勲六等瑞宝章
  1896年(明治29年)7月10日 - 従五位
  1897年(明治30年)10月30日 - 正五位
  1899年(明治32年)6月24日 - 勲五等双光旭日章
  1900年(明治33年)12月20日 - 勲四等瑞宝章
  1901年(明治34年)3月20日 - 従四位
  1902年(明治35年)12月27日 - 勲三等瑞宝章
  1906年明治39年)4月1日 - 勲二等瑞宝章
  1906年明治39年)5月11日 - 正四位
  1909年(明治42年)9月17日 - 従三位、旭日重光章
.
  (今日の言葉)
.
  題:アメリカで・・ささやかれた話・・
.
1971年(昭和46年)3月26日、アンソニーヒルダーとルー
 ズベルトの娘婿のドール大佐とのやり取り
  ヒルダー:私は、丁度、1971年3月26日付のロサンゼル
 ス・ヘラルド・エキザミナーの「秘密報告」と題する記
 事を見ました。
  ジョン・チェンバレンは、そのコラムで、他の一人の
 CFRのメンバー、故トム・デューイ元ニューヨーク州
 知事、
  共和党から大統領候補として出たデューイは、パール・
 ハーバーの真相を知っていた・・と、書いています。
  この記事で、チェンバレンは、デューイ知事に個人的
 にインタビューしたと述べています。
  「1944年になってデューイは、『パールハーバーのし
 ばらく前、最高機密の日本の暗号が破られ、
  次の日に、太平洋の何処かで攻撃が始まることを、ホ
 ワイトハウスは、15時間以上前に知っていたことが分か
 った』と言っていた。
  正確な位置は指摘できなかったにしろ、太平洋のあら
 ゆる我々の基地は警報されるべきであったのです」
  (小生の評)戦争に関する太平洋の重要拠点と言えば、
 「パール・ハーバー」に決まっています。
  (参考)
  ロスアンゼルス・ヘラルド・エキザミナーは、ロスア
 ンゼルスの日刊紙で、月曜から金曜までは朝刊、土曜と
 日曜は夕刊が発刊された。
.
  そして、続きの (今日の言葉)
.
  題:戦争や革命の世界を揺るがす真実は、60年〜70年を、
   経ないと真実は分からない・・、
.
  知識人は言う、「・・とくに戦争や革命と言った世界
 を揺るがすような大きな出来事は、最低でも60年〜70年
 は経たないと、大きな『歴史の真実』を語る資料は出て
 来ない」・・と。
  また、「今日、アメリカやイギリスなど主要先進国
 は、30年経ったら外交文書を公開することを原則として
 いる。
  だが、ここで出て来る文書の大半は『無難な』ものば
 かりである。
  それまでの歴史観を覆(くつがえ)すような重要な文
 書は、その後も隠され続ける」・・と。
  しかし、遅かれ早かれ、アメリカの嘘は、明るみに出
 される。
  しかし、何と、『100年間も秘密にすることにした文書』
 がある。
  アメリカやイギリスは、これはまずいと、100年間、秘
 密にしようと決めた「モンゴメリー報告書」がある。
  それは、連合国の秘密情報を扱った機関について記し
 たものであり、
  そして、それに関連した本が日本で出版されている。
  しかし、今、この本は「取り扱われていない」と表示
 されている。
  「この本は取り扱われていません」と表示され隠され
 ている。
  口封じになったその本は、「3603号室(1979年)(ハ
 ヤカワ文庫-NF)」である。
  著者がモンゴメリー・ハイド、赤羽竜夫訳、早川書房
 である。
  アマゾンは(商品切れ)の表示、楽天は(購入できな
 い商品)の表示となっている。
  因みに、3603号室は、連合国秘密情報機関の中枢だっ
 た部屋である。
  隠すべき「まずいことが書かれている」、だから、「
 隠す事にした」である。
  公表して良いものならどんどん公表されるだろうから
 ・・当たり前である。
  この本には・・、
  アメリカ・イギリスの連合国側が、日本を包囲網を構
 築して苦しめ、
  そして、『戦争に至らしめる』という方針のもとにや
 って来て、
  そして、その日本が、行動を起こしたという情報を、
 「細大漏らさず(一部始終、全部)知っていた」という
 事が記されている。
  公表されると「今までのストーリーが、すべて、『ば
 れるのでまずい』と、100年に秘密期間を延ばして、世界
 の人々から隠したのである。
  卑劣な事である。
.
  (追記):
  重要史料である「モンゴメリー・ハイド文書」など100
 年後の2041年まで秘密になっている。
  都合が悪いから秘密にする期間を延ばしたのだ。
  都合がよければ、逆に、どんどん公開するわけだ。
  また、モンゴメリー・ハイド著で、赤羽竜夫訳の本
 「3603号室(1979年)」は、どこの本屋さんも「お届け
 できない商品」の表示となっている。
  3603号室は「連合国秘密情報機関の中枢」とのこと。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive