(増補版)431E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年8月〜1886年9月)

題:(増補版)431E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1886年8月〜1886年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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1886年8月5日、内務省が、道路築造標準を告示した。
  国県道の築造標準(内務省訓令第13号)
  國縣道新設又ハ變換二係ルモノ其築造保存方法等取調
 標準
  國縣道ノ新設又ハ變換二係ルモノハ自今左二掲ル所ノ
 標準二從ヒ其築造保存方法等取調差出ス可シ
  但在來ノ道路ト雖モ可成此標準二據リ漸次改良ヲ加フ
 ル儀ト心得ヘシ
            明治十九年八月五日
             内務大臣 伯爵山縣有朋
  第一章 築造計畫
  第一條 國道縣道ヲ新築若クハ改築スルトキハ左ノ圖
     面及書類ヲ調製ス可シ
   一 實測平面圖 縮尺六千分一
   二 實測縦斷面圖 縮尺長六千分一 同高二百分一
   三 實測横斷面圖 縮尺適宜
   四 橋梁隧道暗渠等ノ圖 縮尺適宜
   五 堀割及盛土土坪計算書
   六 一位代價表
   七 工費計算書
   八 計畫説明書
  第二條 實測平面圖ニハ國界、郡界、村界、地名、字、
    宿驛、市街、村落、人家、山脈、丘陵、水流、沼
    澤、森林、原野、荒蕪地、耕地、橋梁、堤塘等其
    外地形ヲ顯ハスニ必要ナルモノハ之ヲ詳記スヘシ
    又高六尺毎二計畫路線近傍地ノ高低線ヲ記入シ計
    畫路線ハ赤線ヲ以テ記シ其丁杭并直線ノ長及方向、
    曲線ノ長及半徑等ヲ詳記スヘシ・・・以下略
1886年8月6日、法律取調所の設置
  条約改正のための法律取調所を外務省に設置した。
  当初、外務省に設置されて、後に、司法省へ移管され
 た。
  法典の起草を行なう機関で、日本の法典整備に大きな
 役割を果たした。
  井上馨外務卿は、1882年1月25日〜同年7月27日まで、
 東京において、条約の全締約国の代表を相手に、条約改
 正の予備会議を開いた。
  この席で、イギリス公使ハリー・パークスは、当時、
 同公使館の法律顧問であったカークウッドに意見書を作
 成させ、
  「民法、商法、民事訴訟法についても、刑法と治罪法
 のような泰西(たいせい、西洋)の法原則に基づく法律
 が完成されてから、日本政府の治外法権撤廃の交渉に応
 じよう」という意見を主張した。
  条約改正の本会議は、1886年5月1日〜翌1887年7月18日
 まで、東京にて、計27回にわたって開かれ、
  治外法権の問題に関しては、その第6回会議(1887年6月
 15日)に提出された英独案が審議の土台とされた。
  英独案は、条約の批准後2年以内に、泰西(たいせい、
 西洋)の主義に従った「帝国諸裁判所の章程」を制定し、
 刑法、治罪法、民法、商法、海上法、為替手形に関する
 法律、民事訴訟法、破産法の諸法典を編纂する、という
 内容を含んでいた。
  英独案が提案された6月〜10月まで、各国代表が、この
 案についての本国の訓令を待つため休会となった。
  その休会中の7月、フランス公使シェンキェヴィッチが、
 司法大臣・山田顕義に対して、「日本が近く備えるであ
 ろう諸法律の体系をばらばらにしない必要」があるが、
 「そのためには、一人の大臣を委員長とし、法典起草を
 担当する外国人を委員とする委員会を作るほか良策はな
 いのではないか」と進言した。
  山田司法大臣は、この進言を入れ、井上外務大臣と協
 議を行い、山田から伊藤博文総理大臣宛に、法律取調委
 員会を設けること、
  その委員長には、井上を任命することが上申された。
  委員長、各委員は、伊藤より天皇陛下の裁可をへて、
 1886年8月6日付で任命された。
1886年8月9日、金玉均が小笠原へ。
  亡命中の朝鮮の政治家・金玉均が、小笠原島に移され
 た。
1886年8月13日、地所売買譲渡規則などを廃止し、登記法、
 公証人規則を公布した。
  登記法公布(施行1887年2月1日): 公文式による法律第
 1号。
  また、フランスの制度を参考にして「公証人規則」が
 制定され、3年後に第1回の任命が行われて123人が任命さ
 れた。
  だが、この時には、公正証書の作成は出来ても認証権
 限は存在しなかった。
1886年8月13日、長崎上陸の清国水兵暴虐事件起こる。
  長崎で、清国水兵が飲酒暴行容疑で逮捕される。
  8月15日、長崎で、清国水兵が暴動を起こし、日本巡査
 との間で争乱となる。
1886年8月17日、農商務省が、蚕種検査規則を公布した。
  8月、蚕微粒子病(=黒痣病)予防のため、農商務省は、
 蚕種検査規則を発布し、
  各府県に、検査所を設置させ、蚕種の微粒子毒検査を
 義務づけた。
  1886年農商務省制定の蚕種検査規則を受けて、南多
 摩郡八王子町(当時は神奈川県の管轄)に置かれていた神
 奈川県蚕種検査所が明治36年(1903年)に横浜に移転。
  その2年後には、愛甲郡厚木町に出張所を設けた。
1886年8月、近江麻糸紡績会社が設立された(1884年6月説
 あり)
  吉田健作は、福岡県みやこ町出身の官吏・技術者で、
 日本の近代製麻業の創始に貢献した人物。
  1852年(嘉永5年)、豊前国京都郡上田村(現みやこ町
 勝山上田)に生まれる。
  村上仏山の漢学塾・水哉園で学んだ後、小倉県の職員
 となる。
  しかし、日本の近代化、発展のため、殖産興業に貢献
 したいという強い思いがあった健作は、県職員を退職し
 て上京、内務省に入る。
  殖産指導の技術者となった健作は、フランスへ渡り製
 麻技術を学び、帰国後は産業 視察のために全国をまわり、
 製麻業創立を企画。
  1886年明治19年)に、近江製絲紡織会社、
  1890年(明治23年)には、北海道製麻会社や下野麻紡
 織会社の設立にかかわり、日本の製麻業を育てた。
  当時の日本にとって、麻布は、必要不可欠なもので、
 製麻業の発展にはとても重い意味があった。
  1892年(明治25年)没した。41歳の若さだった。
  弟の吉田学軒は、漢学者で、元号「昭和」を創案した
 人物として広く知られている。
  1894年(明治27年)2月、滋賀県大津市園城寺境内に
 吉田健作の顕彰碑が建立された。
  顕彰碑には「近江麻糸紡織場の創立等、わが国紡績業
 の先駆者吉田健作の顕彰碑」と刻まれている。
  また、故郷みやこ町勝山上田には、吉田健作の墓があ
 る。
  (福岡県みやこ町ホームページより抜粋した)
1886年8月、演劇改良会
  是月末松謙澄ノ主唱ニヨリ、内閣総理大臣伊藤博文
 外務大臣井上馨、外、朝野名士及ビ実業家多数援助ノ
 下ニ演劇改良会成立ス。
  渋沢栄一井上馨森有礼・福地源一郎・大倉喜八郎
 外山正一・穂積陳重等ト共ニソノ発起人トナル。
  更ニ、同改良会ノ趣旨ニ基キ、福地源一郎・安田善次
 郎・益田孝・大倉喜八郎岩崎弥之助・千葉勝五郎等ト
 共ニ改良劇場設立ノタメ資本金二十五万円ヲ以テ演劇改
 良会社創立ヲ企画シ、栄一之ヲ援助ス。
  翌二十年九月六日会社ノ設立ハ許可サレシモ、ソノ後
 改良会ノ不振ニヨリ同会社ノ設立ハ挫折ス。
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  (今日の言葉)
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  題:2008年のこと・・
    その1:アメリカ軍が・・引き上げた。
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2008年12月、韓国のアメリカ軍が引き上げた。
  日本の対馬が、共産政権と対峙する最先端になる可能
 性が高まった。
  ・・今、ニコニコと日本人はレストランで食事をして
 いるが??
  脅(おど)かすつもりはありませんが、北朝鮮のロケ
 ット(核を積んだロケット)は、日本へ7分で飛んで来る。
  また、中国の核弾頭のロケットは、約200発が、日本へ
 向けられている。
  国防に無関心ではいけません。
  愛する方々を守るために、ある程度の国防をしなけれ
 ばいけません。
  国を守ることに、反対ばかりしていてはいけません・・、
  その様な現状にあって・・、
  オバマ政権が、ブッシュ政権からの引継ぎを始めた頃
 のこと・・、
  アメリカ軍は、ブッシュ大統領と韓国の李明博大統領
 との取り決めを破って、
  アメリカ軍の戦闘部隊を、アメリカ本土へ引き上げ始
 めた。
  韓国のアメリカ軍筋によると・・、
  2008年12月、アメリカ陸軍は、ソウルの東ほぼ145キロ
 にあるキャンプ・イーグルから、第一線の戦闘ヘリコプ
 ター一個大隊を、
  アメリカ本土のコロラド州フォート・カールソンへ引
 き上げる準備を始めた。
  このアパッチヘリコプター部隊は、北朝鮮が、韓国に
 侵入してくるのを探るために、アメリカ陸軍が展開して
 いる最新鋭の部隊で、
  極めて戦闘能力の高いアパッチヘリコプターを中心に
 装備している。
  このアパッチヘリコプター部隊を、アメリカ軍は、い
 ったん、コロラド州のフォート・カールソンに引き上げ
 た後に、
  機体を整備し、隊員に休暇を与えた後、
  2009年秋には、アフガニスタンの山岳地帯へ展開する
 予定にしている。
  「このアパッチヘリコプター部隊は、戦闘能力が高い
 うえ、機動力に優れている。
  アフガニスタンの山岳地帯での戦闘に必要になったの
 で、移動させる。
  韓国側からは抗議の声が上がっているが、アフガニ
 タンで、新しい戦闘を行なうためには移動せざるを得な
 い」。
  ペンタゴン当局は、こう述べている。
  こうした国防総省の発表は、ブッシュ政権から留任が
 決まったゲイツ国防長官が、オバマ大統領の意を受けて
 行ったものとみられている。
  この大幅削減は、韓国政府とブッシュ大統領との直接
 の話し合った結果、中止されるはずだった・・が、
  韓国のアメリカ軍は大幅に減ってしまった。
  尖閣諸島もそうだが、対馬も、共産政権と接する形に
 なって来ている。
  そして、今、本当に日本を守るために・・「専守防衛
 」だけで良いのか?
  『いざという時には使いますよ』という「攻撃型兵器」
 を持たなければいけない時が来たのではないか?
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  題:その2:アメリカと中国の関係、
        そして、日本との関係・・、
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2008年12月16日、アメリカと中国の貿易戦争で、この日、
 アメリカの訴えをWTOの上級裁判所が支持した。
  中国は、共産主義の国。
  共産党一党独裁である。
  市場経済システムを取り入れてはいるが・・、筋の通
 らない社会システムではあった。
  何しろ豊かになればいいのだ・・だった。
  その中国が豊かになった。
  しかし、格差はひどかった・・。
  中国とアメリカは、深刻な対立を起こさずにやって来
 た。
  何とか調子を合わせてやって来た・・が、
  しかし、中国は、経済の拡大に成功するとともに・・
 傲慢(ごうまん)になった来た。
  2008年9月、中国は以下の事を発表した・・、
  「中国のブランドを世界的なブランドとして権威づけ、
 世界的に大いに売り出す」・・と。
  この計画の考え方は、保護貿易の考え方にほかならず、
 アメリカは、WTO世界貿易機関)の規則違反と訴え
 た。
  また、オバマ政権は、中国が、自動車部品に「25パー
 セント」の高率な関税を課していると、著しい自由貿易
 違反だと、WTOに「断固とした措置をとるように」と
 申し入れた。
  これは、自由貿易違反と判定され、さらに、2008年12
 月16日に、WTOの上級裁判所が、その判定を支持した。
  アメリカは、中国の『保護貿易的側面』を強く指摘し
 た。
  この頃、アメリカも保護貿易への動きの気配があった。
  特に、自動車業界が荒れていた。
  保護貿易を求める動きにあった。
  「保護貿易保護貿易を呼ぶ」と言われる。
  世界中の国々で、「自国の雇用の確保のために・・」
 という標語で、保護貿易にしたいという風潮にあった。
  震源地は中国だった。
  中国は、何しろ! 人民元を安く抑えるという為替操
 作をしている。
  これが第一の『保護貿易行為』で、アメリカは黙認し
 て来た。
  安い人民元にしていれば、いとも簡単に輸入を防げる。
  中国には、これが許されて来ている。
  その安易な対応が、今、積もりに積もって、抜き差し
 ならない所まで来ている。
  2008年12月、これまで、毎年2回、開かれて来た「アメ
 リカと中国の経済戦略会議」が開かれた。
  ブッシュ政権の下での最後の会合だった。
  その前の2008年6月の会合では、アメリカの金融の混乱
 や、それに伴う騒ぎについて、中国側が、アメリカに厳
 しく説教した。
  この12月の会合では、さらに、中国側のアメリカに対
 する態度は、一段と厳しいものとなった。
  「アメリカ人は貯蓄をしない」、「浪費が激しい」、
 「今度の金融混乱を生じさせた」・・と、厳しく批判し
 た。
  これまで、アメリカに叱られてばかりいた中国だった
 が態度が変わった。
  アメリカの基本的な考え方は、「中国を、世界の経済
 体制に引き込む」だった。
  しかし、時を経て、貿易戦争の端緒があった。
  そして、この様は中国と日本とを比較すると・・、
  中国は、自国の主張を、良いか悪いかは別にして、し
 っかりアメリカに言えている。
  しかし、日本は、この様なことが出来ていない、言え
 ていない。
  何故か?
  やはり、自国の防衛を、アメリカに頼っているからに
 他ならない。
  だから、ひ弱な、軟弱な日米関係になっているのだ。
  皇室の事まで・・アメリカにとやかく言われる、内政
 干渉の極みの事まで・・アメリカの好き勝手が言われる
 状態になっているのだ。
  その様な日本になっているのだ。
  主権を持った独立国家となっていない。
  男尊女卑にかこつけて言われている。
  アメリカにも男尊女卑の面は多くあるのに、自分の国
 はさておいて、日本の皇室に関して、特に、とやかく言
 っている。
  卑劣な国=アメリカである。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive