旧習を捨てきれないキリスト教、古い習慣にとらわれている。

 題:旧習を捨てきれないキリスト教、古い習慣にとらわれている。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教を創始したパウロの、(「ガラテヤの信徒へ
の手紙」5・2〜15)に・・、 
 「割礼」が話題になっている。
 この割礼は、パウロが、道でイエスの直弟子に会った時、
「割礼は止めよう」と一致している。
 これは、第1回の公会議だとされているが、キリスト教
はその後「割礼」を認めている。
 しかし、この割礼について、長い間、キリスト教は、す
ったもんだでもめている。
 そして、この割礼とは・・、男性性器の一部を切除する
ことであるが、キリスト教が生まれた地は、この男性性器
の切除と共に、女性性器切除も行われていた。
 そして、この手紙から、キリスト教が、ユダヤ教と布教
を争っている姿が見れる・・、
 そして、割礼を、「する」か、「しない」のか・・が、
問題となっている。
 そして、この手紙は、「割礼を受ける」という人は、ユ
ダヤ教を信仰するという視点で論じられている。
 イエスも割礼を受けていたし、キリスト教も割礼を後に
認めているが・・、
 そして、パウロは、この手紙でヒステリー状態になって、
 「割礼を受ける人は、律法のすべてを行え」・・と、言
い放っている。
 そして、その様になったら大変なことになるよ・・と、
脅す・・、
 「律法によって義にされるなら、あなたがたは、キリス
ト(救世主)と縁もゆかりもないものになる」・・と。
 律法を捨て、イエスの言葉や行動を捨てたパウロの面目
躍如の言葉となっている。
 縁もゆかりもない「縁切り状態になる」と脅して、突き
放している。
 そしてさらに、パウロは・・、
 「戴いた恵みも失います」・・と、
 「罰を受けるよ」と脅している。御利益宗教=キリスト
教というところ。
 そして、パウロは言う、
 「割礼を宣べ伝えていれば、十字架のつまずきもなくな
っていた」・・と、
 「割礼の布教」と「十字架刑によってイエスが死んだこ
と」を関連付けて言っている。
 ユダヤ教との軋轢(あつれき)も無くなって、十字架の
事も起きなかっただろう・・と、
 そして、頭に来たのだろう、パウロが叫ぶ、
 「いっそのこと自(みずか)ら去勢(きょせい)してし
まえばよい」・・と、ヒステリーを起こした言葉を吐いて
いる。
 キリスト教聖書は、今だに、はっきりさせず、割礼をう
やむやにしている。
 キリスト教は、この様に旧習が残る古い宗教。
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(参考)きゅう‐しゅう【旧習】 昔からの習慣。古いなら
   わし。旧慣。
(参考)あつ‐れき【軋轢】 《車輪がきしる意から》仲が
   悪くなること。「―を生じる」
(資料)wikipediaユダヤ教では、割礼はブリットと呼
ばれ、ヘブライ語で「契約」を意味する語である。
 ユダヤ教徒の家庭に生まれた乳児および改宗者(=ユダ
ヤ人)は、割礼を行わなくてはならない。
 一方、キリスト教では、割礼を行う風習が無い地域にも
キリスト教の布教を行い、割礼を行わない者がキリスト教
へ改宗するための要件として割礼を要件としないという見
解がパウロらによってまとめられたため、早い段階で割礼
を行う習慣が廃れた。このことは『新約聖書使徒行伝等
で触れられている。割礼は、現在では全く自由であるが、
正教会系の一部の教派・地域では割礼を行うことが奨励さ
れている。
 ユダヤ教:『創世記』17:9-14には、アブラハムと神の
永遠の契約として、男子が生まれてから8日目に割礼を行
うべきことが説かれている。(ヘブライ語のBritは契約を
意味するが、割礼の意味でもある)。ユダヤ教では、この
伝統を引き継ぐ。
 イエス・自身も割礼を受けていたことは疑いがない。
 イエスの死後、イエスの直弟子であるパウロらの伝道旅
行において、割礼の風習が無い地域にもキリスト教が伝わ
ったが、割礼の風習がない「異邦人」(=ローマ人、ギリ
シア人など)が改宗した場合に割礼を行うかどうかが大き
な問題になった。異邦人への文化適合を重視するアンティ
オキア教会と、律法(=旧約聖書)の厳格な遵守を重視す
エルサレム教会が論争を行った。紀元48-9年頃のエルサ
レム会議でも、割礼について議論され、最終的に「しめ殺
した動物、血、偶像礼拝、不品行」を忌避すれば、割礼を
含む他の律法の遵守は免除されることで合意が成立した。
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