イエスも・・免れ得ない・・

 題:イエスも・・免れ得ない・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 イエスが、最後の晩餐で・・言う、
 「私を裏切る者が、私と一緒に手を食卓の上に置いてい
る」(「ルカによる福音書』22・21)・・と、
 これは、やはり、イエスらしい言い方であり・・、やり
方だと思う。
 皆が集まって、これから食事をしようとしている時にで
ある。
 今日まで、仮であったとしても、また、『嘘』の・・
 『作られた虚の行動』であったとしても・・、
 共に苦労して来た・・仲間ではないか・・、
 その共の行動が、真実の行動であったのか?・・と、問
いたくなる。
 真実の行動であるのならば、当然の事として・・、
 この様な・・イエスの言葉は出る訳がない。
 「今、食卓に手を置いている奴が、俺を裏切る奴だ」・
・と、言ったら・・、
 弟子たちは、当然のこととして、びっくりするだろう。
・・し、また、目を白黒するだろう・・。
 また、直接、名指しは・・しなかったとしても・・、
 イエスの・・この言い方だったら・・、ほぼ、ある特定
の人間を・・『お前だよ』と名指ししているのと同じだ・
・。
 そういう意味で、ほぼ誰だかが分かるものの言い方で、
名指しはしないのだから・・という態度の・・イエスのこ
のやり方は・・、
 「蛇の生殺し的な・・やり方で・・陰湿この上ない・・
やり方だ」。
 仲間の前で、「ラビ」と・・ユダヤ教の聖職者の呼び名
で呼ばれていたイエスに・・、
 そうイエスを呼んでいたので、仲間の中心的な立場なの
だろうイエスに・・、
 「ほぼ、お前が裏切る者だと言われた『ユダ』も、びっ
くりしただろう」・・。
 この後、この最後の晩餐を開いていたこの仲間たちは・、
 このイエスが、刑に処せられる時に、一人残らず逃げて、
 隠れて・・そして、イエスの刑死には立ち会わなかった。
 イギリスのチャーチル元首相の息子が、この話を聞いた
時・・『この、糞たれ、豚野郎』と叫んだという。
 聖書学者の・・ほとんどが・・このイエスの弟子と言わ
れる輩のことを・・良くは言わない。
 それにしても、標記のイエスの言い方も『素直な言い方』
ではない。
 こんな話を、毎日・毎日・・、
 特に、感受性の鋭い年齢の子供、小学生や中学生が・・、
 毎日・毎日、聞いて、マインド・コントロールされ・・、
 洗脳されたら、
 結果は・・酷(ひど)い事になる。
 イエスも裏切り者を、確信的に分かっていたのなら、こ
んなやり方は成立しない、なかったはずだ。
 もっと巧(うま)い対処の仕方が、あったはずだ。
 イエスは、独断潜行、仲間をつんぼ桟敷に置いて・・、
 仲間には言わずに、また、理解をさせずに・・理解不十
分のまま、事を行なう所がある。
 それを、弟子が満足して・・従って居たのか?・・と、
言えば・・、
 イエスは反駁されたり、また、批判されたりという状態
だった。
 ペトロなんて、まったくイエスを尊敬してない言い方だ。
 イエスは、リーダーとしての適格性を欠いていたと、は
っきり言える。
 だから、刑に処せられる時に、理解を示してイエスの『
刑死に立ち会う』という弟子が一人も出なかったのだ。
 この、イエスの死に際して、弟子が一人も来なかった責
任の一端は、イエスにもある・・と、はっきり言える。
 普通は、最悪でも、一人ぐらい立会者・理解者が居るも
のだが、一人も来ないというのは、余程(よほど)のこと
だ。
 これは、イエスにも責任があり、そして、イエスは、そ
の責任の一端を免れ得ない。
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 (追伸)
 ユダが、イエスを裏切る伏線は・・、
 イエスが、ユダを信頼してない点に・・あった。
 イエスが、信頼しなかったから、ユダが裏切った。
 イエスの刑死以前に・・この様な事があった・・。
 また、ユダが裏切ったから・・、イエスが、ユダを疎(
うと)んじた・・という事も・・考えられるが、
 イエスは・・、少し頭の足りないイエスの弟子の中でも、
ユダを信頼はしていた。
 だから、ユダに会計的な仕事をさせていた。他の弟子に
は出来ないとイエスは判断した。
 何しろ・・急に・・ユダが、イエスを裏切ったのではな
い。
 これは・・確かな事である。
 その原因は・・イエスのあるとしか、考えられない。
 イエスは、ユダを軽蔑する態度を取っていた。
 また、常に、意地悪く接する行為をするイエスだった。
 この様なイエスは、リーダーたる資格はない。リーダー
たる人格はない。
 イエスには、少なくとも、ユダとの『関係修復』のリー
ダーとしての『責任があった』。
 しかし、イエスには、その『才覚は無かった』。
 実質的にリーダーの最も大切な面の失格である。
 このイエスの意地悪く接する行為を『し続けた』事には、
その様な性癖があるイエスには辟易(へきえき)する。
 イエスが、ユダを馬鹿にしたり・・、
 ユダの努力に、その恩義に、報(むく)いないで・・
 逆に、嫌うというイエスは・・最悪で、最低だ。
 その様なイエスなのに、イエスを思う『ユダの方にこそ』、
心の広さがあったと言える。
 その様なユダに、イエスは、まったく無配慮な「裏切り
者」の言葉を、イエスはユダに浴びせ掛ける。
 こんなイエスが、救世主だなんて言えるのか?・・
 言える訳が・・ない。
 何しろ、キリスト教は、イエスが5000人に食べ物を食わ
せました、与えましたとか、やっていることは「現世利益」
の目の前の『御利益』を追うことばかり・・。
 キリスト教の『浅さ』にはあきれる。
 現世利益宗教=キリスト教
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(追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /