心的ダメージが・・恐ろしい・・心配である・・、

 題:心的ダメージが・・恐ろしい・・心配である・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、可哀想な事に・・、
 また、不運な事に・・、
 キリスト教の中心に居るイエスが、刑死という経過をた
どった。
 当時、多く居たイエスの様な、イエスを含む予言者(預
言者)たちを・・、
 公権力が、ことごとく・・刑に掛けていた。
 キリスト教関係だけでも、イエスだけではない。
 多くの刑死者が居る。
 キリスト教の経典である聖書を読んだだけでも・・、
 イエス以外にも多くの刑死者が出て来る。
 キリスト教の中心に居るこのイエスも、刑死という不運
に会ってしまった。
 イエスの弟子たちは、イエスの刑の執行時には、不誠実
な事に、何処かに逃げ、そして、隠れてしまったが・・、
 イエスを知る女性がただけが、イエスの刑に立ち会った。
 その女性がたも、イエスの、予測ができなかった不運に
嘆き、そして、戸惑いの中に居た。
 キリスト教は、予測できなかったこの不運な事態を、
「贖(あがな)い」とした。
 アダムの経緯(いきさつ)で生じた「人間の原罪」を贖
ったとした。
 このイエスの刑死で、人間だけが持つ原罪が、贖われた、
救われたとした。
 キリスト教聖職者は、これを説明する説教で、「キリス
ト教の救いは『下への招き(救い)』である」と意味不明
な説明をする。
 死という形による救い方を言っているのだろう。
 しかし、当然、聖職者は、それが良いと美化の発言をす
る。
 キリスト教のこの聖職者は、キリスト教以外の、一般の
宗教が、良い状態へと導く救いの状態は駄目だと言う。
 この「上への招き(救い)」は駄目なのだと言う。
 苦しい人をより上の状態の、苦しくない状態への救いが、
なぜ駄目で、良くないのかは、キリスト教聖職者は説明し
ない。
 キリスト教聖職者は言う、「十字架の死という最悪の状
態の中に立って我々を招く」のが良いのだと言う。
 何故、良いのかは説明しない。
 ただただ、良いと言う美化の言葉ばかりだ。
 そして言う、「我々よりさらに低い所から招き、低い所
から支える」のが良いと言う。
 何故、下から支えるのが良いのかは説明しない。
 これは、キリスト教に良くある『我田引水論理』だ。
 意味不明の我田引水論理で、煙に巻いて、マインド・コ
トロールする。
 イエスが、ただ、不運の事態から生じた刑死の事態に、
ただこじつけてできた論理ではないですか?
 キリスト教は、この様な論理、屁理屈と思える様な、ま
た、こじつけと思える様な論理・説教で、話をし、洗脳す
るから注意をしたい。
 人々を救うには・・、
 また、支えるには・・、
 下からも・・また、上からも・・、
 一生懸命に・・支え・・救って・・差し上げねばなりま
せん。
 仏教には・・、
 菩薩が、救いのために、地獄へ降りて行く・・という話
が有りますが・・、降りても・・行かなければなりません。
 また、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではありませんが・・、
 佛が衆生を救おうと・・、天から蜘蛛の糸を地獄へ下ろ
し、地獄の人たちが、その蜘蛛の糸を登り、救われようと
する話もあります。
 キリスト教は、本当に偏頗(へんぱ)な話で洗脳し・・、
マインド・コントロールする。
 無意味な美化だけの言葉だけが・・無味乾燥に響きつづ
く宗教だ。
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 そして、次の話。
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 若い、大切な時期・・、
 多くの、そして、色々な事を学ばねばならない若い時期
に・・、
 キリスト教系の学校に入ったばっかりに・・、
 キリスト教を本当に求めた訳でも無かったのに・・、
 キリスト教系の学校に入ったばっかりに・・、
 納得の行かない論理展開に・・、
 自分の素直な考えを、より深く求めて行きたい本音(ほ
んね)の自分が居るのに・・、
 その本当の自分を表現すると、期末試験などの試験の場
合には×(ばつ)となり・・、
 やむなく本当の自分を押し殺して・・、
 キリスト教が言う論理に迎合(げいごう)して・・、
 試験を通過している。
 自分に嘘をつく毎日となっている。
 この時間やエネルギーがもったいない・・、
 まことに貴重な若い時期に・・、
 この時間やエネルギーを、他へ向けたら、これからの自
分の人生に大きくプラスになるのにと・・惜(お)しく思
う。
 それよりも、心的ダメージを・・、
 若い心への心的ダメージが・・恐ろしい。
 どのような影響が、これから出て来るかである・・心配
である。
 「週に2時限もあるのですよ」と嘆いていた若者が居た。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
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