とっくに根こそぎ破壊したのだから・・・、

 題:とっくに根こそぎ破壊したのだから・・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
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 アメリカ合衆国憲法は、「我々人民」で始まる。
 また、リンカーンの演説が「人民の人民による人民のた
めの統治」と演説したように、
 「人民が主体」となっている。
 これ等の人民は「アメリカ国民」を指しているのだが、
 様々な民、様々な民族(異民族も混じり合ったルツボ)
を指している。
 ある特定民族を固定しての考え方ではない。
 多民族の多文化の共存する人民を対象としている。
 多民族の多様性を認め、その多様性の存在をお互いが許
し、
 その多民族の多様性を統合し、支え、
 普遍的な理念を求め、確立し、
 政治社会を統合し、
 その統合を支える所に正義があるとし、
 そのイデオロギーを守って行く事が、正義としている。
 民族を基盤にした考え方ではないのだ。
 ましてや、ある特定の民族を基盤とする考え方では、到
底、ないのである。
 ある民族を特定した、固定的な「ナショナリズム」では
ないのである。
 少しも、ある民族集団を主体としてはいない。
 自由な市民の政府であり、理想的には、その境界観念は
ないと考えている。
 自由主義によって政治社会を捉(とら)え、
 原理を、その社会や人々の外延や境界にはないとすると
ころに置いている。
 そして、その様な人々・人民によるデモクラシー・民主
主義なのである。
 民族概念は、対象にしてないし、主体にもしていない。
 この観点から、キリスト教は、民族を主体として考える
宗教である。
 特定の民族を「神から選ばれた選民」としている。
 その選民の特定民族の幸せを追求する宗教の形態となっ
ている。
 故に、異の宗教を持つ異民族を、強烈に排除する排他の
宗教である。
 「異教徒は殺せ」の教義を持つ宗教なのである。
 キリスト教は、現代に存在してはならない概念を持つ宗
教なのである。
 ましてや、キリスト教の概念を持った政治家は出現して
はならないのである。
 因(ちなみ)に、リンカーンの「人民の概念」に、
 アメリカ国民という基盤の中に、先住民の「インディア
ンの方々」は含まれていなかった。
 リンカーンは幼少の時、目の前で祖父がインディアンに
殺された事もあり、その後、政治の実権を握るや、インデ
ィアンの方々を虐殺する行為を指令したり、
 先住民のインディアンの方々の土地を取り上げたり、
 インディアンの方々を虐(しいた)げたりした。
 また、黒人の方々を開放したというのも、彼の政治の後
期で、彼は、自由黒人をアフリカへ送る行為をしている。
 名目は、「人道的な行為」だとの言い方をしているが、
 実体は、追放(アフリカ送還)であった。
 また、アメリカは、自らの理念・考え方を絶対の正義と
し、
 その「絶対正義」ならどの様な方法によってでも、
 他国へ知らしめるのも「正義だ」とし、
 国民国家が、その権力を海外に及ぼす事は内政干渉であ
り、
 侵略とされるはずだが、
 アメリカは、内政干渉どころか自由の拡大であり、
 「無謀な権力行使」ではなく、
 「使命の実現」という。
 独善的に決められた普遍的とされる価値と、
 それを実現する政治権力の行使を正統化する。
 自分の持っている強大な権力(武力を含む)は、
 何処に従うべきかの理念が、
 空虚に空を舞う。
 他国から抑止される可能性のない「アメリカの軍事力」。
 その軍事力を持ったが故に、冷静な判断が阻害されてい
アメリカだとも言える。
 そして、ある意味、「偽善行為をする国家」とも見れる。
 その思考の原点に、キリスト教がある。
 アメリカにはこの点が混在している。ここは排除すべき。
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 そして、次の話・・、
 アメリカの若者・・、
 イラクに派兵された若者は・・、
 心が壊(こわ)れた・・、
 堤未果氏の著書『アメリカ弱者革命』143頁〜に、
 『シャワーは目を開けたまま浴びるんだ。
 滝の様にな流れるお湯の向こうから鋭い刃物が出てきた
ときに、かわせるように・・。
 片手で体を洗いながら、もう一方の手はシャンプーの棚
に載せたリボルバー(ピストルのこと)に常に触れている。
 かかる時間は三分ってとこかな。
 地元のブルックリンに居た時には、シャワーを長く使い
過ぎるって妹たちに文句を言われてた俺がだぜ。
 シャワーから出て軍服を着ると、いったん緊張がゆるん
で、たった今、汗を洗い流したばかりの体から、どっと汗
が吹き出るんだ。
 奴らはどこにでも潜(ひそ)んでる。
 建物の影や道端の車の中、調理係になりすまして夕食の
マカロニ&チーズに毒を盛るかもしれない。
 体に手榴弾を巻き付けてるから、こっちは下手に手が出
せないよ。
 奴らと俺たちの最大の違いは何だと思う?
 それは俺たちが恐怖に支配されてるってこと。
 怖くてシャワーも普通に浴びられないし、外に出る時も
常に四方に銃を向けながらじゃないと歩けない。
 背後で物音がすると体がビクッと反応する。
 そのうち動くものは全部、敵に見えて来る。
 ビデオゲームとおんなじだよ。
 先に撃たなきゃこっちがやられる。
 ここまで来ると、もう最新式の兵器でも使って街ごと全
滅させないかぎり、自分たちはこの恐怖からは逃げられな
いと思う。
 でも、そこでハッと思い出すんだ。
 そもそも俺たちがここに来た理由、今じゃ誰も信じてな
いそのりっぱな目的をね。
 だって人間がいなくなった街に、民主主義を樹立させる
ことはできないだろう?
 あっち側に怖いものはないのかって?
 答えは「ノー」、奴らにはもう失うもんが無いからさ。
 だって俺たちがここに来て、大事そうなものは、とっく
に根こそぎ破壊したのだから・・・、
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
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