根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。

 題:根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教には、
 『我が民族の生き残り』のために・・という、宗教に生
まれついた因がある。
 初めは、はっきりと『戦勝を祈る神』だった。
 『勝ち残っていく世界』の神だった。
 多民族が生きるために、『しのぎを削っている世界』の
神だった。
 そのために、『他の人のために』などという精神は、こ
れっぽっちも、微塵(みじん)もない宗教だった。
 1例をあげれば、
 人の命を助ける医療関係に、キリスト教が、関係して行
くときも、
 その第一の目的は、そのことによって『キリスト教の権
威』を得たいだった。
 自分だけに利がある『権威』を求めた。
 人の命を助ける事より、『権威が欲しい』が優先した。
 その為、その当時、医療の部分をカバーしていた人々=
助産婦さん方が、キリスト教の餌食(えじき)となった。
 人々に医療技術を施していた『助産婦の方々』を殺しま
くった。
 また、薬を煎じる姿を『魔女だ』・・と、因縁(いんね
ん)を付け、捕まえて、殺した。
 西洋にも、東洋医学の漢方の様な、『立派な文化』があ
った。
 キリスト教のために、この『人助けの文化』は絶滅した。
 キリスト教は、また、異常に『異教を忌む宗教』で、
 『異教徒は殺せ』の教義が、キリスト教には暗黒の帝王
の様に存在している。
 そして、その精神で、同じキリスト教徒でさえ、『異端』
として捕まえ、殺した。または、放逐した。その数は、
 数知れずだった。
 中国まで逃れ、流れて行った『景教』も、その様な宗教
だった。
 『景教は、キリスト教ではない』とされた。
 キリスト教は、自分と同じ意見なら、「いい子、良い子」
をする。
 意見が違うものなら「処刑だ」・という宗教である。
 なんと多くの方々が、キリスト教の毒牙にかかったとい
うのであろうか。
 キリスト教徒どうしでさえ、殺し合った。
 卑劣な宗教である。
 例えば、ミカエル・セルヴェトゥスのこと。
 医者の彼は、宗教に興味を持ち、「聖書の権威を主張し
た」。
 ここまでは良かった。
 ただ、教会の権威を下げる様に表現をした。
 まず、三位一体神の論理を認めなかった。
 屁理屈だとした。実際、屁理屈なのだが・・、
 そのため、当然のように、権威をかさに横暴なキリスト
教組織から妨害され、圧迫され、迫害された。
 そして、逃げたが、捕縛された。
 そして、可哀想な事に、いつものキリスト教がやる『処
刑という道』が待っていた。
 彼は、「憐れみたまえ」と命乞い(いのちごい)をした。
 非情にも、キリスト教に、その願いも聞き届けられず、
 キリスト教は、彼を焚刑によって殺した。
 何故、この様な悲惨な状況が起きるのか?
 キリスト教は、根本のところで『命の大切さを説いてい
ない』という『非情な宗教性』を持っている。
 今なお、この教義は、訂正されずに残っている。
 人類の未来に害を与え、また、不必要な宗教となってい
る。また、信徒の方々は、絶対に幸せにはなりません。
 そして、もう一話・・・、
 ある話・・・、西部劇でよくある、相手を怒らせて、
 相手が先に銃を抜いたからと、
 「早撃ちガンマン」が、相手を撃ち殺す。
 『正当防衛』で・・・『無罪』・・・と言う。
 態のいい『人殺し』なのだが・・、
 相手は、アメリカ西部の開拓農民。
 勤勉に働くだけの農民。
 銃など使い慣れていない。
 一方、ガンマンは、
 「農民の土地を欲しがったが、売って貰えなかった一家」
に、ただ雇われただけの「雇われガンマン」。
 このガンマン、何の怨念も、相手の勤勉な農民に持って
いないが、「雇われ、依頼されたので、仕事としてやった」。
 このガンマンの寄って立つところが「正当防衛」。
 この様な論理が、国家間の戦争においても成立している。
 「戦争を起こしたものの罪」も、「あいつが先にやった
のだと、バチバチ相手をやっつけた者にも罪」がある。
 その両方が罪なのだ。
 今、国際法はこの様にはなっていない。
 「決闘の法理」で合法。
 この決闘の法理は「名誉が棄損」された場合も成立する。
 根っこにキリスト教の教義がある。
 故に、今まで日本人が考えてきた「戦争は絶対に許しが
たい犯罪だ」を根付かせていかねばならない。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /